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城山小太郎くんを幸せにしたいはなし

皆さん「ゼロ 一攫千金ゲーム」の第5話と城山小太郎くんのスピンオフを見ましたか??? 見てない人は直ちに見てください。見た人はもう一度見てください。

私、正直まだ山口カズヤくんのしんどさから立ち直れてないんですけど、城山小太郎くんもやっぱりめちゃめちゃしんどかった(必然)ので、ま〜〜〜〜たつらつらとブログを書きます。山口カズヤくんとの対比で余計しんどさが増すので、下書きに眠ってた3話の感想も併せて。

 

◆山口カズヤくんのしあわせについて

第3話で我らがアイドル山口カズヤくんが退場したわけなんですけど、彼の引き際がキャラクターとして完璧だったなと。

一つ前のブログで、山口カズヤくんには友達が居ないと書きましたが、一つ訂正します。山口カズヤくんには友達が居ないけれど、たった一人だけ居る。宇海零です。第3話はカズヤくんがその事に気づいた回で、その気づきと退場がうまく噛み合ってるんですよね。最高。

正味な話、話としてはもう少し盛り上がって引っ張って欲しかったなという欲がありますが(尺的に厳しそうですけど)、"山口カズヤ"というキャラクターの描き方としては最高だったのでプラマイプラプラ。

 

で、明らかにしておきたいのが、「山口カズヤくんにとって何が一番重要だったか」というところ。

3話を見る前までは、零にリレーのアンカーを譲られたエピソードが肝になってくるのかなと思ってたんですけど、どうやらそういうわけではない。というのも、3話でそのエピソードの真意が明らかになっていないんです。

カズヤくんの主張としては、「零も3連覇を成し遂げる自信が無かった。だから自分に憐れみでアンカーを譲った」んですけど、零はこれに対して否定も肯定もしてないんですね。回想シーンでも、「一緒に泳げなくてごめんな」とだけ。だから零の真意は分からないまま。ということは重要なのはそこではなく、もっと別のところにあるんです。

「それからずっとお前の幻影に囚われ続けて……人生逆転のためにやってきたここで、お前と会って運命だと思った」

「今度こそ人生をやり直すチャンスだと思った」

個人的には、重要なシーンが2つあって、そのうちの1つがここの告白のシーン。零に完璧に勝つことで、囚われ続けていた幻影から抜け出したかったのでしょう。そうして、新しく人生をやり直したかった。

そしてもう1つが、

「俺はお前を殺す為にこのゲームに参加した」

「どうだ、分かったろ。俺がどんなに最低な奴か。……がっかりしたろ。……軽蔑しろよ!」

続くここのシーン。

ここ、今までのカズヤくん像を覆す表現が1つあって、そこがすごく重要なんじゃないかなあと。「俺がどんなに最低な奴か」。このセリフ、確かに流れ的には全くおかしくないです。高校の同級生を殺そうとしたんですもの。

でも、山口カズヤくんのスピンオフではそんな描写は一切無かった。敗北は相手がずるい手段を使ったから。自分が評価されないのは周りがカスだから。俺が負ける筈がない。山口カズヤくんは、全てを周りのせいにしてしまうようなそんな奴だった筈なんです。

で、どうしてそうなったのかという答えなんですけど、2話のエンディングにあると思うんですね。

殺ってやる……その偽善

 

分かってる、学生の頃から。でも、俺は知ってる。やつの致命的な欠点を。あいつは根っこの所が……おめでたい。人の気持ちを踏みにじれない。友達を裏切るなんてとんでもない。つまり、筋金入りの偽善者。

ここの部分。

前の記事でもちらっと書きましたが、カズヤくんは零の人間的な部分を暴こうとしている。零にゲームで完全敗北したカズヤくんは、零のマイナスの感情を引きずり出す事で、"偽善者"の零に勝とうとするんです。たとえ、自分の非を認めたとしても。

 

そして、これに対する答えとして零はこう言ってるんですね。

「しないよ、軽蔑なんて。お前は、最低な奴じゃない。」

「また……ここからやり直せる」

「……また泳ごうよ!」

「生きてここを出られたらさ……また、一緒に泳ごうよ。……あの頃みたいに」

と、カズヤくんの訴えを全部否定して、"これから"の前向きな未来を提案してるんです。

カズヤくんは最低じゃないし、零を殺さなくてもまた人生をやり直すことができる。零の幻影に囚われていない、カズヤくんだけの人生。零を殺そうとしたカズヤくんを受け入れ、否応なしに前を向かせている。

で、個人的にすごくいいなと思うのが「一緒に泳ごうよ」という台詞。リレーのアンカーを譲る時の、「一緒に泳げなくてごめんな」を10年越しに回収している。アンカーを譲った時の零の真意が明かされなかったぶんを、ここで多分拾ってるんだと思います。2人にとっての「一緒に泳ぐ」がどんな意味を持つのかは描かれていないので完全に私の想像なのですが、きっと前向きな意味があるんだと思います。回想シーンでは、零に追いつけなくて悔しい思いをするカズヤくんが描かれていましたけど、辛いこと以外にも楽しいことがあったんじゃないでしょうか。だから零はカズヤくんを"友達"と呼ぶのでは。それこそ部活終わりのコンビニの寄り道だとか、部室で残って駄弁ったりだとか、そういう青春の思い出を引っくるめての"一緒に泳ぐ"だといいなあと。

 

そして、カズヤくんが写真を取り出すシーン。今まで表面的なもので見てきた、カズヤくんから零への思いが感じられます。

零に出会うと思っていなかったドリームキングダムに写真を持って行っていること。写真を携帯していること。写真が綺麗なこと。

この3つから、カズヤくんはあの写真を大事にしてることが伺えます。ので、カズヤくんはきっと心の奥底では零との友情を大事にしていた。でもそれ以上に過去の出来事がしこりとなっていて、燻っていた劣等感がスピンオフで爆発してしまった。本当はお互いちゃんと友達だと思っていたはずなのに、カズヤくんがそれを認めていなかった。

「……生きろ」

からの、このセリフ。ここに全てが集約されている。

零の生存を願う事で、零の幻影に囚われていた自分と決別をし。「生きてここを出られたらさ〜」への返答をし。自分から去る事で、敗北を認め。

カズヤくんが人間的に成長をし、なおかつ零を"友達"だとちゃんと認めたんです。これでカズヤくんは零への執着から開放され、しっかりと"山口カズヤ"としての人生をやり直せるでしょう。

そしてそれが、カズヤくんの幸せに繋がっていく。第3話、最高でした。

 

◆城山小太郎くんのしあわせについて

で、小太郎くんなんですけど。小太郎くんの幸せがどこにあるのかって、きっと"友達"なんでしょう。

山口カズヤくんには友達が居なかった。けれどもただ一人、宇海零という本当の友達が居た。

城山小太郎くんには友達が居た。けれども本当の友達は誰一人だって居なかった。

ここ、個人的にめちゃめちゃしんどいんですよね。

ゼロって友達との絆や仲間への信頼が大きなテーマになってると思うんですけど、本当に友達が居ない小太郎くんは、彼が前を向ける取っ掛かりがない。しんどい。

 

●いじめについて

スピンオフを見た人は皆疑問に思った事が1つあると思うんですけど。

小太郎くんって何でいじめられてたの???

いやそんなだって、ビジュアル手越祐也ですよ。日本の宝ですよ。歌って踊る太陽ですよ。一体だ〜〜〜れがいじめたんじゃオラオラってうっかりモンペの心が目覚めました。

 

で、私なりに考えてみたんですけど。多分小太郎くんは、根本的に友達つきあいの仕方を知らないんじゃないでしょうか。

仲良くなる方法は、プレゼントを渡すこと。しかも、相手が欲しいものを確実に渡す。プレゼントって、相手が欲しいと分かっているものを渡す事も勿論ありますけど、相手が好きそうなものを考えて渡すことも当然あるじゃないですか。でも小太郎くんはそうじゃない。事前に相手の欲しいものを調べて、喜ぶ顔が約束されているものを渡す。そうでないと渡せない。

小太郎くんはおそらく予定外のことに弱い。全てを把握して、自分の筋書き通りに進めたい人だと思うんです。ホッシーとアイちゃんがはじめっちに会いに行ったと聞かされたときがすごく分かりやすくて、

「ふたりは?」

「……聞いてないよ、そんな仕事」

と、ここでいきなり声の温度と笑顔が消えるんです。"友達"が自分の知らないところで予定外の行動をした事が小太郎くんは許せなかったんじゃないでしょうか。

後半で、小太郎くんが別の友達レンタル会社のヘビーユーザーだったことが明かされますが、小太郎くんはおそらくそこで知識として友達付き合いの仕方を学んでいる。けれども本質としては何も分からないから、相手の好みでないかもしれないプレゼントを渡して失敗する事を恐れるし、自分の管理していない場所で何かが起こっているのを嫌がるんです。

「ベリーバッド! アンハッピーだ。僕が何をした? うまくコントロールできてた筈なのに、やっと手にした友情は一瞬で壊れた」

「……皆が待ってる! まだ壊れてない!」

ここの、ホッシーからの電話を貰うシーン。「皆ずっと待ってます」の意味を、いい意味でしか捉えていない。

普通であれば気まずさを感じたりだとか、悪い想像をすると思うんですけど、小太郎くんにはそれが全く無い。"友達"とのいざこざがあった時の対応を、 友達レンタルでは知り得なかったんです。だから、"また上手くやれたらいいな"みたいな自分の感情に都合よく解釈をしてしまって、結果がそれと違ったら憤る。

そういう、所謂"普通"と違ったところが高校時代にいじめを受けた要因になってるんじゃないかなと。

はじめっちのSNSに書かれていたコメントを振り返ると、

「コタロウじゃん

有名なヘタレ」

「こいつメッチャ嫌われて(た)」

「底辺ヤンキー高のパシリ」

と、周りからの小太郎くんの評価が見えてきます。

うっかり芽生えた小太郎くんへのモンペ心としては「オイオイ小太郎くんの美貌に嫉妬していじめたんか???」とか思うんですけど、後の

「嫌われてていじめられてる奴って、やっぱりどっかに原因があるんじゃないかな」

この言葉から、きっかけは小太郎くん自身の"何か"だったのかなあと思いました。「ヘタレ」と言われてるところから、ヤンキーと気質が合わなかったりだとか、さっき書いた友達付き合いの仕方を知らないところだったりだとか。きっかけはおそらく些細なことなんですけど、それが伝染して肥大して、「メッチャ嫌われてた」んじゃないでしょうか。

あと、高校時代にパシリだった事と、今の小太郎くんがプレゼントを渡すで友達でいようとしている事、ちょっと繋がりがありませんか? 靴を舐めさせたりしてきた人たちも、パシリで物を渡した時は暴力を振るわなかったりしたんじゃないでしょうか。それが、物を渡したがる今の小太郎くんにそのまま受け継がれているのでは……。

 

●誕生日について

これ、今回のスピンオフで最上級にしんどかった所なんですけど。最後に小太郎くんが出したクイズ。

「……とっても簡単な問題だ。……僕の誕生日は?」

ここ。ここの小太郎くんの優しくて切ない声と、3人の表情を見て、全てを悟って諦めたような絶妙な表情。ここで、小太郎くんへのしんどさが限界突破しました。

3人が仲間割れをした時の小太郎くんの笑いや、「友情ごっこなんかよりこっちの方が楽しいや」という台詞から思うに、小太郎くんは3人の友情を壊したかった。自分以外の3人の友情が壊れるところが見たかった。その一方で、彼は自分と彼らとの友情に期待をしていたのでは。

前半の、

「え! てかすごくないすか。はじめさんフォロワー1000超えてるじゃん! 意外っすね」

「しかし。Birthdayを一緒に祝ってくれる友達は? ……ゼロだ。悲しいことにね」

はじめっちのSNSを見るシーン。2周目だとしんどさ億億倍。

はじめっちには現実で誕生日を祝ってくれる友達は一人もいなかった。けれども小太郎くんにはそもそも誕生日を知っている友達が一人もいなかった……。

3人が「城山さん」という名前にピンと来ていないところとかからも分かるように、小太郎くんと3人の関係って全然深くないんです。ホッシーの役者でいることに悩んでいる話も、カメラからの映像で俯瞰して見ていただけなので、直接ホッシーの口から話されたわけではない(ホッシーは話そうとしていたのかもしれないけど)。

私の想像なんですけど、あれだけ普段プレゼントを渡していた小太郎くんの事なので。誕生日プレゼントなんかは特に大事に渡したりしていたのでは? さっきも書いたように、小太郎くんは全てを把握したい人なので、3人の名前は勿論、誕生日やらのプロフィールもきっちり知ってたんじゃないかなと。

でも3人は知らなかった。小太郎くんと付き合っていく上で、知らなくても問題はなかったから。

ホッシーだけは小太郎くんがプレゼントした靴を履いていたり、気遣うような言動を見せたりと一番"友達"に近かったのかなあと思うんですけど。それでも、あの状況で小太郎くんが幸せになれる答えを持っていなかったんですよね。寄り添おうとはしていたけれど、そこに至るまでの時間が足りなかったのかな……と思うとめちゃめちゃしんどい。

 

◆6話に向けて

ついに今夜放送の第6話で小太郎くんがいっいどんな表情を見せてくれるのか。小太郎くんは救われるのかを思うとしんどさが止まらないのですがオタクはただ待つしかできない。つらい。

カズヤくんは青春の淀みを拗らせてしまったって感じなんですけれども、小太郎くんはなんというか、何も知らない子供というか。子供特有の残酷さがあるんですよね。虫の手足をもいだり、蟻の巣を沈めたりするような無邪気な残酷さ。友達付き合いを知らないが故の、無垢な残酷さ。それを演じる手越くんの凄さ。カズヤくんの時も思ったんですけど、手越担さん大丈夫ですか……………??? 小山担の私はもう駄目です…………

まだまだ書きたいことはあるので、6話で死んだあとぽつぽつと書ければなあと思います。

城山小太郎くんよ、どうか幸せになってくれ。全人類ゼロ一攫千金ゲームを見ろ!!!!!!