夢は夢より夢のまま

NEWSが好きな愉快なオタク。@k2k2_n

アイドルのはなし

私はアイドルが好きだ。アイドルという概念が大好きだ。

9月15日。今日は私の好きなアイドルが結成15周年を迎える、世界一ハッピーな日である。そしてこの文章を書いている私は今、とてもとても幸せであり満ち足りているのだ。この気持ちを忘れないよう、アイドルについて思っていること、燻っていた感情をつらつらとしたためていく。

 

◆キラキラについて

アイドルの好きなところ。

歌が上手いところ。ダンスが上手いところ。顔が格好いいところ。一言で言うならば、それらのどれでも無く、私は真っ先に「キラキラしているところ」を挙げるだろう。

キラキラというのは随分と抽象的な言葉だが、そう言う他ないのだ。

初めてNEWSのコンサートDVDを見た時、心の底から私は「キラキラしている」と思った。

自分たちの魅力を知り尽くしたプロ達が、全力で歌って踊ってパフォーマンスをしている。その姿が、そしてその姿を見るファン達が、そこの空間がキラキラしていた。

これを非常に分かりやすく言葉にしていたのが、バレエダンサーの宮尾俊太郎氏だ。

「客席に居ると、その人の命が削れて、キラキラしたものが見えるんですよ。自分自身を全部かけて、命が削れていって。その破片がキラキラとなって飛んでいくんですよ」

これは、Sexy Zoneの冠特番・『Sexy Zoneのたった3日間で人生は変わるのか!?』での言葉だ。中島健人氏が3日間かけてバレエを練習し、それを披露するというコーナーである。サイコーだったので全人類が見てほしい。

 

この言葉、大変衝撃的だった。所見のときはこれこれ、これだよ! 私が言いたかったやつ!! と1人で興奮していたので、今ここで共有させてほしい。

プロは、命を削ってパフォーマンスをしている。全身全霊で、最高を届けるように。だからあんなにも美しく切なく、キラキラと輝いている。

思うに。まさしくそれはキラキラの「破片」なのだ。削れていった形は人によって様々で、輝き方も当然異なる。だから「ファン」というものが生まれるのだ。

ファン一人ひとり、当然ながら生きてきた過程もアイドルを見るスタンスも違う。立っている場所が一人ひとり異なるのだ。だからそれぞれ、「担当」というものが生まれる。

アイドルに優劣などない。一様に皆輝き、キラキラとしている。ただ我々の立っている場所が違うだけだ。

私の立っている場所からは、NEWSの輝きが。その中でも小山慶一郎さんの輝きがいっとう美しく輝いて見えている。これからしていきたいのは、そういう話だ。

 

◆6月の感情について

今年の6月に味わった感情。もう二度と味わいたくはないなと思うけれども、決して忘れたくはないなとも思う。

詳細を私の言葉にするのはしんどいし、まあ今更書くまでも無いことなので、以下6月と記す。

6月の感情は、色々なものが渦巻いていた。心配と悲しさと怒り。予め記すと、NEWSに対する悲しみや怒りや呆れといったマイナスの感情は一切無かった。ただただ心配であったのだ。

 

私はアイドルに対し、「こうして欲しい」と願う事は殆ど無い。「こういう事があればいいな」というささやかな願望(例えば自担がエクレア親善大使になればいいなとか推し俳優と共演してくれないかなとか新譜が5億枚くらい売れればいいなとかだ)こそあるものの、「絶対にこうあるべき」というものは殆ど無い。殆ど。そう、殆どだ。

その殆どの例から漏れて願うのは2点。非常に勝手な願いながら、私はアイドルがアイドルであり続けてほしいし、アイドルには幸せでいてほしい。

私はジャニーズのオタクとしての歴はまだまだ全然浅いが、実在する人物のオタクとしての歴はそれなりにあるつもりだ。声優もバンドマンも俳優も応援してきたし、その中で色々なこともあった。

そう、引退や活動休止は別段珍しい事ではない。

友人、恋人、家族。彼らに近しい存在ならば、その選択を肯定するだろう。ファンには明かされないであろう、引退するだけの理由や心情を知れる。「生身」の彼らを見ることができるからだ。

けれども、私はファンの立場に居る。ファンの私は、表舞台に立つ彼らのことを好きになり、彼らを応援している。「生身」の彼らについて、ほんとうの事は顔と名前や血液型くらいしか知らないのだ。

我々ファンは、芸能人が「見せてもいい」と思った部分しか本来知り得ない。だからもし、活動を止めるに至った経緯を止めた彼らが語ったとしても、それが本当なのか、それが全てなのか、他に理由が存在するかどうかすらも知る由はない。

だから、ファンの私は。そういう生身の事情は置いておいて、芸能人が表舞台で見せる輝きをずっと浴びていたいと思うのだ。

全く持って勝手なことだが、私はファンなのだ。ファンが好きなものを永遠に続いてほしいと願う気持ちは、当然のことだと思っている。だから私は勝手に好きになったアイドルを勝手に応援し、勝手に永遠を願い続けるのだ。

 

もう一つの願い。幸せでいてほしいということ。

これはまあ、特別に書くことはない。ただただ、幸せであってほしい。表舞台でキラキラの輝きを届ける彼らが幸せであってほしい。アイドルはプラスの感情もマイナスの感情も受け止め、我々ファンに幸せを届けている。だから、幸せを届けるアイドル自信も、幸せであってほしいのだ。

 

話を戻す。6月に抱いた心配。それは彼らがアイドルであり続けるのか。そして彼らは今幸せなのかどうかだ。

あの時の私は本当に思考がどうかしていて、世界中が彼らのこと、とりわけ自担のことを嫌いになってしまっていたらどうしようと本気で思っていた。今になって考えてみれば、これまでの、彼らの積み重ねと彼らを好きでいたファンのことをまるで無視した大変失礼な思想である。ましてやファン歴が子供用プールばりの浅さの自分がそう思うなんて、なんておこがましいのだ。そんな考えに至った自分を恥じた。

今現在、アイドルとして活躍する彼らはやはり変わらずキラキラしているし、私の周りは彼らを好きな人で溢れている。それが全てだ。

 

 

6月の怒り。それは「世間」に対してだ。

先程も書いたが、私はファンだ。決してアイドルの友人でも恋人でも家族でもない。だから私がアイドルに対してできることといえば、お金を支払うことと声援を送ること。その2つだ。間違っても彼ら自身を正すだとか、そういう事はできない。そういう土俵に立っていない。彼ら自身に直接影響を及ぼしたとして、そこから先の責任も取れないし取りたくない。私はそう考えている。

だから、世間の風潮が理解できなかった。受け入れられなかった。

何か糾弾できるきっかけを見つけると面白おかしく揶揄をしたりだとか、誹謗中傷をしたりだとか。受けたショックを吐き出したりだとか、起こったことへの感想を述べることと、悪意を持って騒ぎ立てるのはまるで別の話なのに。まるで正当な権利を得たかのように、自らの悪意を振りかざす。そういうのがまかり通る世間の風潮が嫌だった。

 

そして悲しみ。それは悪意の存在だ。

彼らを誹謗中傷する声だとか、彼らを暴き立てたり真偽不明のことを面白おかしく書き立てるメディアの存在。彼らが取り巻かれていたそういうものが可視化されているようだった。

先に述べたように私はアイドルには幸せでいてほしい。それなのに、こんなにも世界は悪意で溢れ、彼らは、顔も名前も身分も剥き出しにしてそこに立っている。そういう現実がたまらなく悲しかった。

 

そして、どうしてこの時の感情を忘れたくないのか。それは、私がNEWSを好きだからだ。

私は元々ジャニーズ界隈に居ないオタクだ。昨年の春に足を踏み入れて、ファンの愛の深さを知って。自分の「好き」という気持ちに後ろめたさがあった。いわば「NEWSも好きなオタク」であったからだ。

NEWSを好きな人たちが、好きという気持ちに本気なのを見て、自分の愛の量で「好き」を語っていいのかと懸念していたのだ。

そこで6月を迎えた私は、自分の感情に驚いたのだ。本当にめちゃめちゃしんどかったし辛かったし、そして何よりNEWSが好きだったのだ。自分が思っていた以上に、私は彼らのことが好きだったのだ。

あまりにも辛すぎてNEWSの楽しい情報だけを目にしたくて、Twitterのアカウントを作った。そこはNEWSを好きな人たちで溢れていて、見れば見るほどNEWSを好きな気持ちが目に見えるようになっていった。

私はきっと、あの6月に自信を持って「NEWS担」になったのだ。

だからあの時の感情。辛くてしんどくて悲しくて、そして何より好きが溢れていたあの感情を忘れたくない。

 

◆夢と現実について

6月以降、よく目にした言葉がある。

「夢ばっか見てないで、ちゃんと現実を見ろ」

色んな場所で目にしたし、実際にこういった趣旨の言葉を言われたこともある。

あまりにも余計なお世話なこの言葉。私からしてみれば、「現実ばっか見てないで、ちゃんと夢を見ろ」だ。

私はアイドルに夢を見ている。現実に居ながらふわふわキラキラとした夢を見せてくれるアイドルに私は惹かれた。現実が見たかったらはなからそこらへんにいる男を見ている。

だから、私は思う。アイドルに夢を見ることの何がいけないというのだ。「ちゃんと現実を見れているファン」ってなんだ。こっちはちゃんと夢を見れているファンだ。

 

そもそも、「現実」とは一体何なのか? 悪意を持って暴かれた彼らのプライベートが現実ならば、なんて酷い現実なんだろうと思う。

そういう風に暴かれた一部分だとか、インターネットの海に転がっているような悪意まみれの「現実」を、さも彼らの全てだという風に聞かされたことがある。それは「ファン」でも「アンチ」でもなく、所謂「世間」に分類されるような立場の人だった。なんて安い現実なのだろうと思った。

 

アイドルは私にとって夢なのだ。だから、そういった「現実」に対しては言ってしまえばどうでもいい。私にとってアイドルのプライベートは、文豪の人間性だとか遊園地のバックヤードだとかと同じくらいにどうでもいいことだ。

アイドルがプライベートを見せることがファンへの裏切りになるのだとしたら。アイドルのプライベートを暴くことはアイドルへの裏切りではないのか?

だから私はアイドルを好きでいる限り、全力で夢を見たい。それが何より楽しいからだ。

 

◆存在について

アイドルというものは、自分の存在を売っている。

私はNEWSを好きになる前は(というか今も並行して)舞台俳優のオタクだった。舞台俳優の演技や歌やダンスが本当に好きだ。

アイドルも歌やダンスや演技をする。けれども、舞台俳優に対して抱く感情とアイドルに対して抱く感情は決定的に何かが違った。

一体何が違うのか。それに対する答えが、「存在」だ。

 

私には愛してやまないアイドル漫画がある。

高木ユーナ先生著・『ドルメンX』(全4巻)だ。かいつまんで言えば宇宙人が地球を侵略するためにアイドルになる話なのだが、アイドルや若手俳優を推しているオタクには絶対に刺さるものがあるのでどうか読んでほしい。

その中で、こんなセリフがある。

「今回はなんで征服の手段をアイドルにしたんだ?」

ーーーーー

「俳優とかじゃダメなん?」

ーーーーー

「オレは……自分自身を受け入れてもらいたいのかな………って。

 俳優は自分の演技を求められて 歌手は自分の歌を…………

 アイドルは…存在を。」

存在。アイドルが愛される根底はきっと、存在そのものだ。歌が上手いアイドル、ダンスが上手いアイドル、喋りが上手いアイドル。色んなアイドルが居るが、彼らが愛されているのはそういった秀でているものがあるからではない。それを引っくるめた、存在そのものだ。

私の自担は歌が苦手だ。でも私は自担の歌が大好きだし、唯一無二だと思っている。最近の音楽番組での歌の進化に日々驚かされているし、新曲・「生きろ」のソロパートがべらぼうに好きだ。そして何より、それを歌う小山慶一郎が好きなのだ。

個性豊かなアイドル達が集まってグループになって、それぞれ得意不得意を補って。不揃いで不完全で、そういう存在たちがたまらなく愛おしい。

私が彼を好きな理由。それはうまく明文化できない。分からないけれども、初めてコンサートDVDを見たとき、彼を目で追っていたし心をガッチリと掴まれた感覚がした。あえて言葉にするならば、やはり「存在」なのだろう。

 

◆今について

6月以前、ファン歴の浅い私がNEWSの結成15周年の節目を大きな顔をして祝っていいのかという気持ちがあった。

が、今は違う。NEWSが好きで愛おしくて、そんな彼らの15周年を心から祝いたい。

毎週日曜日にドラマを見て騒いで、NEWSを好きな人とNEWSの話をして、新しい情報があれば心を揺さぶられて。そういう日々を送っている今がとても幸せだ。

先のことを考えるのは得意ではないので、率直な気持ちを挙げる。

NEWSが15周年を迎えるこのタイミングで、NEWSを好きでいてよかった。NEWSを好きな人たちが周りにいてよかった。

私は本当に今毎日が幸せで溢れている。

この感情を味わえたことと、これから先の楽しみに感謝して、この文章を締めようと思う。

改めて、NEWS結成15周年本当におめでとうございます。どうかNEWSのこれからの道が幸せで溢れていきますように。