夢は夢より夢のまま

NEWSが好きな愉快なオタク。@k2k2_n

EPCOTIA ENCOREの感情のはなし

お題「NEWS DOME TOUR 2018-2019 「EPCOTIA ENCORE」続・宇宙旅行記」

(お題お借りしました。ありがとうございます)

 

 2019年1月1日、及び2019年1月7日。これは私にとってきっと一生忘れないであろう「はじめて」の日だ。はじめて誰かと始発の新幹線に乗った日。はじめて大阪に行った日、はじめてジャニーズのコンサートに行った日、はじめてNEWSのコンサートに行った日。

 その時に生まれた、「はじめて」の感情を私はどうしても忘れたくなかった。だからこれから、この記事の中に感情を置いていく。

 

◆はじめてについて

 先のブログでも書いたように、私は一昨年の春にNEWSを好きになった。のが、今になってどうして「はじめて」になったのかというと、ただ単純に尻込みをしていた。

 好きになったばかりの私がコンサートに行っていいのか? もっと好きな人が行くべきなのでは? 私がコンサートに行ったら、周りのファンとの「好き」の差が浮き彫りになってしまうのでは? 私がNEWSを好きになった時、NEVERLANDツアーの申込みは既に終了していたが、EPCOTIAのアリーナツアーはそんな気持ちで申し込まずに見送った。あとは何となく肉眼で彼らを観るのが怖かったんだと思う。円盤ですでに眩しいぐらいにキラキラしてたから、直視したらどうなるのか想像がつかなかった。

 そして6月が過ぎ、Strawberry。色々な感情がまぜこぜの中、申し込んだものの落選。個人的な事情の話をすれば、丁度仕事がドドド繁忙期だったので当選していても、もしかしたら行けていなかったかもしれないのだけれど。

 まあそんな感じでStrawberryも見送った。けれども、丁度高校からの友人がNEWS沼に落ちたのもあり、毎日友人とのLINEなりTwitterなりでNEWSの話をしたり、ラジオを聴いたり雑誌を買ったりと、コンサートに行ったことがないなりに楽しくオタクとして生きていた。毎月何冊も特集が載った雑誌が出るというのも、今までとは違う文化圏の出来事だったし、毎週レギュラー放送のラジオがあるのも大変に有り難いことだった。新しい情報に、新鮮に"好き"を更新していく毎日だった。

 そのぶん、NEWSを好きな気持ちをインプットすることは充分に出来ていても、アウトプットすることがなかなか出来ていなかったのだと思う。

 

◆コンサートについて

 だから、コンサートを経ての感情の波が凄かった。

 身体中で「幸せだ!」と叫んでいた。コンサートそのものがとにかくはちゃめちゃに楽しかった。良質のエンターテインメントを耳と目と肌で感じた。

 今まで溜めに溜め込んでいたNEWSを好きだという気持ちが、一気に結晶になっていったようだった。

 

 一曲目。EPCOTIAの前奏からワアワアと血が沸騰しているようだったし、なんなら開演と同時にペンライトが一斉に消えたあの瞬間からテンションは最高潮だった。

 自担の歌割りの中でも、ともするとNEWSの歌詞の中でも私が一番好きな歌詞がこのEPCOTIAの「絵空事なんかじゃない 僕らは此処にいる」の部分なのだけれど、とにかく演出が最高だった。アリーナツアーのレポートを後から見て、申し込めばよかったと死ぬほど後悔したのもここの演出の部分の比重が大きい。

 それまでスクリーンにNEWSの姿は映っていなかったのに、2番のはじめ、自担のこの歌割りからNEWSが映し出される。そこで起きる歓声に、目に映る景色に耳から入る音楽に、身体の全ての細胞が今この瞬間を楽しんでいた。たぶん、好きに致死量があったら私はあの時死んでいた。

 だってこんな、こんな素敵なことがあるか。アイドルが。偶像だと言われるアイドルが。画面や紙面の向こうの存在であったアイドルが。「絵空事じゃない」と歌うのだ。「僕らは此処にいる」と歌うのだ。そしてそれを、私の大好きな人が歌うのだ。

 個人的な解釈の話をするならば、私の中で「ここにいるよ」は「I love you」と同義であるので、めちゃめちゃに興奮した。詳しく書くと脱線したまま戻れなくなるので新海誠の「ほしのこえ」を見て欲しい。最高。

 

 そこからの流れは遊園地のアトラクションに乗せられているように目まぐるしく過ぎていき、そのどれもがカラフルでハッピーで楽しかった。こんなに楽しいことがあっていいのかと思った。いい。

 私に語彙と表現力があれば掌編小説一編ぶんの感想を全曲書きたいところだが、そうではないのでコンサートの中で特に残しておきたかった感情を書く。

 

 コンサート中に腰が抜けた箇所があった。「夜よ踊れ」の、最後のフレーズ。微かに残ったあの夜のナンバー。自担のパートなのだが、駄目だった。なんかもう、駄目だった。脳の処理速度が追いついてなかった。あまりにも好きだった。あまりにも格好良かった。

 この曲において、衝撃的なフレーズは言わずもがな、「君の、君の美貌が僕を狂わせた」だと私は思っていた。事実、このパートの破壊力はとんでもなかった。ドーム全体が固唾を飲んでフレーズを言い切るのを待つ静寂は、多分あの時世界一幸せで溢れた静寂だった。

 CDで聴いていた印象だと、とにかくその箇所の印象が強かった。のだけれど。コンサート聴くそれはまるで違う印象だった。

 生バンドだったこともあってかイントロからもう興奮は最高潮で、一瞬で曲の持つ匂いに引きずり込まれた。手越くんの妖艶な歌声が、増田さんの甘やかな歌声が、小山さんの正体を掴ませない登場人物を思わせるようなラップが、加藤さんのセクシーな声が紡ぐ台詞が、その全部が溶けて混ざり合ってひとつになって。ひとつの「夜よ踊れ」という香水になっていたようだった。

 そうやってむせ返る香水の香りの中でくるくると翻弄されていると、漸く終わりが見えてきて、ああ名残惜しいなと思っていた。そこで放り込まれた爆弾が、最後のフレーズだ。自担は、「あの夜のナンバー」の中に溜めを作り、余韻を残した。その余韻は、肌に残る引っかき傷のように、記憶に留まる香水の香りのように、私の感情に爪痕を残した。最高だった。それはもう、腰が抜けるほどに。

 

 私はといえばそうやって腰を抜かしていたが、時間は1秒だって待ってはくれない。「LVE」のイントロが肌を殴った。私の柔らかくなっていた感情はいよいよ無理だと言っていた。

 「LVE」という曲については色々と書きたいことがあって、下書きに眠っているのだけれど、今回は置いておいて。

 私はこの曲が好きだった。何が好きかといえば、昨年の夏のシングルのカップリング曲にこの曲を選んだプロデューサーが、曲を作った制作陣が、この曲を歌うNEWSが好きだった。好きという感情の大きな理由は、そこだった。

 ENCOREで、この曲を聴いて、この曲の演出を見て。圧倒された。格好良かった。とにかく格好良かった。肉眼ではなく、スクリーン越しに見えるNEWSの姿が格好良かった。皆、「生きて」いた。絵空事なんかじゃなかった。音の圧が波になって身体を駆け巡った。びりびりと痺れるようだった。

 1回歌うごとに寿命が縮んでいるのでは? と思わせるくらいに、彼らは身を削って、全身全霊で叫んでいた。だからかそれは、私の心にぐさぐさと刺さっていった。「愛がなくては生きていけない」

「希望がなくては前に進めない」

「信仰がなくては悪意に勝つことはできない」

 強すぎる言葉の銃弾は、決して暴力ではなかった。言葉に形容してしまうと陳腐になってしまうだろうそれは、色々なものがぐるぐると混ざっているようだった。ただあえて、なにか言葉にするならばそれは、「むき出しのやわらかいもの」だろうと思う。「LVE」は暴力ではない。全てを曝け出してぶつけてくるけれど、こちらを攻撃するという意図はないのだと感じる。

 思うに。きっとこれは、こちらへ向けられた救いの手であると同時に、自身への救済だ。

 言葉は強いが、この曲で言っている内容は底抜けにポジティブなものだ。「前を向け」と。

 私はコンサートで曲を聴いて、どこか不思議な暖かさを感じた。精神の深いところで寄り添ってくれているようだと感じた。これが"救いの手"だ。

 そして、自身(ここで言う"自身"は誰か特定個人を指すものではなく概念的な話だ)への救済。それは「ひとりじゃないんだ」というフレーズだ。ここを、ここを自担が歌った。泣いた。いや泣くって。他のパートはむき出しの自身をそのままぶつけて来るような力強さがあったが、「ひとりじゃないんだ」を向ける先は、まるで自分自身に向けてるような静けさと儚さがあったように感じた。その表現力は、なんとうかもう1人のアーティストとして好きになるほか無かった。

 それに紐付いて、コンサート終盤、「HAPPY ENDING」で「1人だなんて間違えないように」のフレーズを聴いて、更に泣いた。ひとりじゃない。コンサート会場は、たくさんの愛で溢れていた。

 「LVE」という曲は、色んな方向に銃弾を飛ばした曲だ。そしてその方向は決して世間や外野といった、"外側"ではない。"内側"に向けられた弾丸は、自身を削って想いを乗せていく。そういう曲だと私は思う。

 

◆悪意と愛について

 すごく脱線したのでコンサートの話に戻る。書き記そうか迷ったが、コンサートで生まれた大きな感情なので、これも形として残そうと思う。

 このコンサートで私は沢山の愛を見た。溢れんばかりの愛だった。そして、ひとつの悪意を見た。すごく悲しくなった。私はその悪意を絶対忘れないだろう。

 悲しいことなので仔細は書かない。

 直後はすごく腹が立ったし、何でこんな事でコンサートを楽しむ気持ちにノイズが入るのだと憤った。が、後々振り返ると、悪意の持ち主も、別の誰かへ向ける大きな愛を持っていた。うちわを持って自身の担当からファンサを貰おうとする姿は、周りの"ファン"と何らかわりのない姿だった。

 それまで私はきっと、"悪意"は純粋な悪意の塊なんだと思っていたのだろう。けれども、現実はそうではなかった。大きな愛がそこにはあった。そこで私は、すとんと理解した。悪意はきっと、無くならない。愛と結びついているから。悪意だけなら未練は産まれない。愛があるから未練が産まれ、執着が産まれる。だから、愛と結びついている以上、悪意だけを取り除くのは不可能だ。そして多分、悪意は誰の中にも存在しうる。

 だから、もっともっとたくさんの大きな愛で世界が溢れていけばいいと思った。持っている悪意が霞むくらい、大きな愛がそこにあればいい。だから私は、これからもっと愛を叫んでいくだろう。そうすればきっと、今よりも愛が大きくなっていくだろう。そうしていけば少なくとも、私の中で悪意は育つことがないだろう。育つスペースがないくらい大きな愛を育てていくから。

 

◆終わりについて

 コンサート終盤、「生きろ」が歌われた。

 自担のパートで特に好きなのが「終わりなき青春」の部分なのだけれど、ここを聴いてまた泣いた。何度目だ? わからん

 コンサートの終わりが近づいていることが肌で分かる。終わって欲しくないなと思っていた。そこで聴く「終わりなき青春」のフレーズは、まさしくこのコンサートの事のように思えた。勝手な願望ながら、自担もこのコンサートに終わりを迎えてほしくないと感じていればいいなと思った。

 私は自担の歌声が大好きなのだけれど、とりわけ好きな瞬間が声に感情が乗っている瞬間で、この「終わりなき青春」はまさにそれだった。

 少し震えた声で、過ぎていく現在を惜しむように、離し難いように、慈しんでいるようだった。ほんとうに、泣けるほど愛しかった。ペンライトが作る、MVを思わせるような金色の海の中で、ただただかけがえのない現在を噛み締めていた。

 

 そして先程も触れた「HAPPY ENDING」。皆がステージの上に現れ、キラキラを振りまいている姿はまるで、舞台のカーテンコールのようだと思った。現実の世界から"EPCOTIA ENCORE"という夢のような世界へやってきた私は、この曲で現実へ送り届けられたようだと思った。もしくはかけられていた魔法が解かれるような、舞台セットを崩すような、そんな感覚。

 コンサート中に胸に刻まれた感情だけをお土産に、私は夢の"終わり"を迎えた。

 

◆自担とアイドルについて

 流れを断ち切って、あまりにも好きだと思ったのでここに書く。

 自担が、アイドルだった。

 それは言葉通りの意味ではなく、概念的な話だ。

 「LIVE」にて、NEWSは惑星型のバルーンに吊るされていた。可愛かった。

 加藤さんは自由にくるくる動いてたし、手越くんはキラキラを四方八方に振りまいていたし増田さんはマイナスイオンを発生させていた。

 一方自担は、高さに怯えていた。

 これはネガティブな意味ではなく、限りなく臨界点に近いポジティブの意味だ。

 ワイヤーをがっちりと掴む自担が可愛い。客席に手を振る自担が可愛い。その後で光の速さでワイヤーを掴む自担がめちゃめちゃ可愛い。自分のパートで替え歌をして恐怖をアピールする自担がものすごく可愛い。

 高所恐怖症は、萌えポイントでも何でもない。本人にとっては紛れもなくただの恐怖だ。けれども、自担はそれで終わらせなかった。

 打ち合わせで演出の拒否をすることもできただろう。吊られてる際、恐怖の顔を浮かべることもできただろう。そんな中、自担は「可愛い」に昇華させた。ああなんてキラキラしたアイドルなんだろうかと思った。それは、"小山慶一郎"という"個"が"NEWSの小山慶一郎"という"アイドル"を我々に見せてくれている瞬間だった。

 

 そしてもう一点、しみじみと"アイドル"だなあと思ったことがあった。

 自担の髪色が明るくなっていたことだ。

 少し遡って昨年の12月21日のMステスーパーライブにて。自担の髪型が、変わっていた。私の心に穴が空いてからすぐの出来事だ。私はその時、自担は"アイドル"として前を向いているのだなと勝手ながら解釈した。

 そのことを踏まえての、EPCOTIA ENCOREでミルクティーアッシュの髪色を見たときの衝撃といったらもう、もう。

 これは私の願望が強いのだけれど、"ファン"が求めるものに対して、応えてくれているのではないかと思った。"NEWSの小山慶一郎"というひとつの概念に寄せてくれている。本当のことは分からないけれど、少しでもそうであるならいいなと思う。

 

◆総括

 一言で言ってしまうと、最高だった。キラキラの波が、幸せの渦がドームいっぱいを席巻していた。世界中から集めた幸せがドームに留まってるのではないかと思った。

 はじめてのコンサートは忘れられないはじめてになった。コンサートとして、エンタメとして、創作物として、これ以上無いくらいの満足感がそこにあった。

 はじめてがこんなに良いものだったならば、次は満足いかないのではないかという不安は微塵も無い。あるのは、きっと私には想像も及ばないものを魅せてくれるのだろうという確信と期待だ。それだけの説得力が、純粋な力が、NEWSにはある。

 だからあと数時間もすれば私の心は踊るだろう。そして、来月から始まる"W"のツアーへの期待で満ち溢れていくだろう。そういう感情をくれるのがNEWSであり、NEWSのコンサートなのだと、思う。