愛のはなし
2019年のツアーであるWORLDISTAの円盤が発売して、早いものでもう1ヶ月が経った。
すぐに観た人、すぐには観られなかった人、未だ観られていない人。様々な人が抱く、様々な感情の渦中にきっとこの円盤はある。当時とは変わった状況の中、"当時のまま"のものを出すというメンバーの言葉通りのものがリリースされたのだから、それも致し方ないとは思う。
だからこそ書きたくなった、という訳ではないけれども。
その"当時のまま"の円盤を観たことで、「気づき」を得た。そして、言葉にしたいと思った私の感情があった。これから綴っていくのは、愛に気づいた話だ。
まず円盤がリリースされて、それを「見たい」か「見たくない」かで言えば、私は「めちゃめちゃ見たい」と思っていた。
公演そのものの素晴らしさや楽しさはもちろんあるけれど、私にとってのNEWSのコンサートの初参戦はEPCOTIA ENCOREなので、長期間のツアーに参戦するのはWORLDISTAが初めてだったから。フォロワーさんと一緒にどこそこの公演参戦しようねだとか相談したり、連番のうちわ作ったり、会ったことのないフォロワーさんと会ったり手紙を貰ったり渡したりカラーギャングやったり急遽遠征決めたり急遽オーラスチケット探したり。
数ヶ月間、ずっとずっと楽しかった。NEWSがくれる"特別"は、コンサートそのものだけじゃなかった。アルバムが発売されてTwitterやブログであれこれ考えた時間も、コンサート当日を指折り数えて待つ時間も、WORLDISTAに関わる全てが特別だった。
それは時間が経っても何があっても変わるものではなく、当時の思い出と感情は私の中に息づいていたのだ。
早くあの時の光景が見たい、早くあの胸の高鳴りを味わいたい。早くアリトロに足掛け*1を確認したい。
なんてはやる気持ちを抱きしめたまま、WORLDISTAを見た。最高だった。“当時のまま”だった。
それはただ単純な映像のつくりとしての意味だけではない。そこにあった熱量。NEWSからファンへの愛。ファンからNEWSへの愛。私が抱いていたNEWSが好きだという気持ち。
昔好きだった音楽を聴けば昔の思い出が流れ込んでくるように、懐かしい香りを嗅げば記憶の蓋が開くように。WORLDISTAを見たことで、当時の愛とバワリーが私の中を駆け巡った。あ、私NEWSめっちゃ好きじゃん。一生好きだって思えるくらい好きじゃん。
正直な話、今年の夏はNEWSを応援していることがずっと楽しかったかと訊かれれば即答は出来ない。もちろんNEWSへの愛は変わらずあったつもりだったけれど、なんというかSNSの流れだとか先行き分からない現状だとか変わってしまった周囲の関係性だとか、そういうものからくる疲れもあった。あとはもっとシンプルにコロナウイルスが蔓延する日常のままならなさとかも。
例えるならば、ゲーム中盤で攻略に詰まった時のもどかしさや、新しい環境にほんの少しだけ慣れた時の居心地の悪さに近い。状況に変化が欲しいと願いながらも、実際に何をすれば良くなるのか分からなくなる感覚。
と、そんな感覚から引っ張り上げてくれたのがWORLDISTAであり、そこに映っているNEWSだった。頭の中で理解していた「NEWSが好き」の気持ちを、あっという間に当事者としての「NEWSが好き」の気持ちへと連れていってくれた。
というのが前置き。長い前置きだった。
そんな風にWORLDISTAでぽかぽかになった心のまま、その日のうちに「クローバー」を聴いた。
どうして聴こうと思ったのかは明確に覚えていない。多分そんなに大きな理由は無かったのだと思う。WORLDISTAを見て、ああNEWSが好きだなって気持ちを噛み締めていたら曲が聴きたくなって、そうして何か月ぶりかにクローバーを再生した。なんだか何か月よりももっと、ひどく久しぶりな気がした。
そこで私は冒頭で書いた「気づき」を得た。
曲の素晴らしさはもう説明不要だと思う。増田さんのパートの「辛くなるなら、聞かなくていい」「いつでもいつもここに来て」がやたら胸にじいんと響いてきたり、加藤さんのパートの「希望を手放さないで 絶望に手を出さないで」「僕らの手を握っていて そのぬくもりを忘れないで」に泣きそうになったり。
そして次に流れてきた小山さんのパートで、衝撃を受けた。
「毛布みたいに包まれて あったかいならいいのに」って
どうして形を求めるの?
近くにあるよ いるよ 気づいてよ
そんな声が聞こえない?
耳すまし感じてもらいたい
僕の愛、あったかい?
いつでも君の心にいたい
以上歌詞の抜粋。
「近くにあるよ いるよ 気づいてよ」がファンである“私”に向かって呼びかけられているように感じた。NEWSの存在はいつだってずっと傍に、心の中にあった。そこに居た。WORLDISTAを見て引っ張り上げられた感情。それが疲れている時もくすぶっている時も、本当にずっと傍にあったことに気づいたよ。永遠にNEWSのことが好きだ、とまた改めて思えたのだ。
そう、これがどうしても言葉にしたいと思った「気づき」だ。
友人間の会話で、しばしば「NEWSの愛は内向きだ」という話が上がる。
コンサート中の演出でファンが「好きな人」のことを想って歌った歌声を(無断で)収録し、(サプライズで)CDの間奏に使用*2するなど、NEWSの愛は「身内」に向けたものが多い、と思う。
もちろん誰が見ても素晴らしいものだというのは前提として、NEWSのことが好きならもっと楽しくなるというか、 そう思わせてくれるというか。
この「クローバー」も、ある種そういうものだ。
誰が見ても素敵な歌詞で、誰が聴いても素敵な曲。だけれど、ファンだったらもっと刺さる。愛に包まれている。そしてその愛の中に、ファンがいる。私はそれに気づいた。
そして、それを踏まえた上で聴くと刺さるものがもう一つある。
STORY(アルバム)の中に収録されている、小山さんのインタビュー部分・「What is Love? -Interlude-」だ。
「お互いが、お互いを受け入れ合う。優しい心でいる。相手を認める。っていうのが、愛……だと思うなぁ……うん」
「一生続く愛は……、でもそれを信じて生きてるけどね」
「ファンの人はもちろんのこと、メンバーもそうだし。家族もそうだし。広げたらたくさんあるけれども、どこに向けても、その愛っていうのは続いてると思うし……それを止めちゃったときには、自分の存在価値というか、生きがいみたいなものがなくなっちゃう気がする」
「永遠の愛」からある種最も遠いかもしれないアイドルが、「永遠の愛を信じていること」の尊さと切なさがまずどうしようもなく好きだったのだが、その話はまたずれてくるのでどこか別で話したい。
小山さん曰く、愛は「お互いがお互いを受け入れ合う」ことだ。
この愛を「アイドルとファン」の関係に当てはめると、私が「クローバー」を聴いた時に得た「気づき」そのものになるな、と思った。
お互いがお互いを受け入れ合うこと。お互いの矢印が、お互いに向いていること。
NEWSの存在がすぐ傍にあったことに気づいた瞬間、私の矢印はぴったりとNEWSへ向いた。そこで生まれた沸き立つ感覚、「永遠」を信じる感覚。これが“生きがい”だ、と心から思えたこと。
――あ、これが愛だ。
なんてただただ純粋に、真っすぐにそう思えた。
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と、ここまでが書き溜めていたものを完成させた文章。
このブログを書いている途中で、小山さんと加藤さんの新型コロナウイルス感染が発表された。
正味な話、感情はずたずたになった。
まず最初にトレンドから目に飛び込んできたのは「STORY中止」の文字で、背筋がすっと寒くなるのを感じた。続いて「コヤシゲ」の文字を見て、TLを見て、コロナウイルス感染を知って。
初めはただ、「お大事に」くらいに事を捉えていて、どちらかと言えばSTORY中止の方を悲しく思っていたのだけれど、よくよく発表を見れば発熱だとか咳だとか、そういう具体性を帯びた文字列が載っていた。それを読んで、自分の中でかみ砕いて。そうしていくうちにようやく実感が沸いてきた。
後遺症が残らないか、とか今どうしているのか、とか、これからどうなるのか、とか。そして何より、心と身体は大丈夫なのか、と。
個人的に、先日のNEWSが揃ったゴチの中で出た「小山さんが最近肺活量を鍛えるトレーニングをしている」の情報に沸き立っていたから、気管支系の症状が出ていることが本当に不安で心配で仕方がなかった。
そしてもう一つ。
久しく忘れていた、インターネットの悪意に直面した。
詳細を書くのも胸糞悪くおぞましいので、ここには書かないけれど。
私にとって、私の持つ倫理観にとって「あり得ない」悪意が蔓延していた。人としての超えてはいけないラインを超えているとさえ思った。
私が見なければいい、とか個人の感覚の差ではとても済まされないくらいの悪意。
色々のものがごちゃ混ぜになってずたずたになった感情を持ったまま、時間を過ごした。楽しいものを見ている時に素直に楽しいと思える余裕はあれど、ふとした瞬間に不安で不安でどうしようとなってしまう。
ファンという存在は、こういう時にあまりにも無力だ。当然ながら。
けれど、そんな気持ちを救ってくれるのもやっぱりNEWSだった。
11月30日、NEWシングルである「ビューティフル」のMVがYoutubeで公開された。
「そのままでいいよ」と歌うこの曲は、あまりにも優しく私の心に届いた。
さりげなく気づく愛が こんなにも近くにあること
当たり前じゃない 分かってるけど
このMV公開で初めて明らかになった、2番の歌詞。加藤さんが歌うこのパートはまた、私の中にある「愛」を再確認させてくれた。
そしてその愛は、私のものだけでは無かったのだ、と思える出来事がその数日後に起こる。
NEWSの出演が取りやめとなった12月2日のFNS歌謡祭を、私は見ないつもりでした。見ると悲しくなってしまうから。
けれども、TLに流れてきたこのツイートを見て、「見よう」という想いでいっぱいになった。
⭐️FNS歌謡祭❤️第1夜 放送中📺#FNS緊急コラボ🎤
— FNS歌謡祭【公式】 (@fns_kayousai) 2020年12月2日
相葉雅紀
KAT-TUN
King & Prince
SixTONES
NEWSの3人が ラストを飾ってくれる予定だったのですが
急遽 出演できなくなってしまったので#NEWS の #weeeek を緊急コラボ!
公式ハッシュタグ#FNS歌謡祭 をつけて感想をつぶやいてくださいね⭐️
ただNEWSの出演を取りやめるのではなく(そうなったとしても番組の対応としては正しいと思うけれど)、NEWSのための企画を行ってくれた。
そのことだけでもたまらなく嬉しかったのだが、番組内でも「当初の予定からちょっとだけ変更して」と、NEWSが出演予定だったコーナーで触れてくれたことや、本来NEWSがシャッフル企画で何を歌う予定だったのか伝えてくれたこと。テロップに「NEWSに贈る応援歌」と入れてくれたこと。そしてNEWSが飾る予定だったトリを、「NEWSに贈る応援歌」のweeeekで締めてくれたこと。
全てが「NEWSはここにいるよ」と物語ってくれているようで、これまでNEWSが積み重ねてきたことの重さが、かいま見えた気がした。
そしてまた同時に、“こんなにも近くに”NEWSの周りには愛が溢れていることを噛み締めた。
インターネットの悪意を見て、私は勝手にNEWSを取り巻く悪意を嘆いて沈んでいたけれど。
これまでのNEWSを見ていてくれた人。NEWSと一緒に仕事をした人たちは、ちゃんと大きな愛を持っている。テレビ番組の関係者さんも、出版社さんも、共演者さんも、みんなみんなNEWSにあったかかった。しょうもない人たちの言葉よりも、NEWSの周りの愛を信じようと、そう思えた。
「心は元気に」とラジオの最後で言う小山さんの言葉に何度も何度も救われてきたからこそ、今は「心は元気に」小山さんと加藤さんを。そしてまた再び歩み出すNEWSを待ちたい。
そうだ。ファンらしく、待とう。愛を持って、祈りを込めて。Youtubeを見てCDを予約して。
そうして拓けた先の未来に、美しいNEW STORYが待っていると信じて待とうと、私はそう思ったのだ。
NEWS - ビューティフル [Official Music Clip (short ver.)]
*1:WORLD QUESTにて確認可能。当時フォロワー周りで毎公演の足掛けガチャが極地的な盛り上がりをみせた