夢は夢より夢のまま

NEWSが好きな愉快なオタク。@k2k2_n

愛のはなし

 2019年のツアーであるWORLDISTAの円盤が発売して、早いものでもう1ヶ月が経った。

 すぐに観た人、すぐには観られなかった人、未だ観られていない人。様々な人が抱く、様々な感情の渦中にきっとこの円盤はある。当時とは変わった状況の中、"当時のまま"のものを出すというメンバーの言葉通りのものがリリースされたのだから、それも致し方ないとは思う。

 だからこそ書きたくなった、という訳ではないけれども。

 その"当時のまま"の円盤を観たことで、「気づき」を得た。そして、言葉にしたいと思った私の感情があった。これから綴っていくのは、愛に気づいた話だ。

 

 まず円盤がリリースされて、それを「見たい」か「見たくない」かで言えば、私は「めちゃめちゃ見たい」と思っていた。

 公演そのものの素晴らしさや楽しさはもちろんあるけれど、私にとってのNEWSのコンサートの初参戦はEPCOTIA ENCOREなので、長期間のツアーに参戦するのはWORLDISTAが初めてだったから。フォロワーさんと一緒にどこそこの公演参戦しようねだとか相談したり、連番のうちわ作ったり、会ったことのないフォロワーさんと会ったり手紙を貰ったり渡したりカラーギャングやったり急遽遠征決めたり急遽オーラスチケット探したり。

 数ヶ月間、ずっとずっと楽しかった。NEWSがくれる"特別"は、コンサートそのものだけじゃなかった。アルバムが発売されてTwitterやブログであれこれ考えた時間も、コンサート当日を指折り数えて待つ時間も、WORLDISTAに関わる全てが特別だった。

 それは時間が経っても何があっても変わるものではなく、当時の思い出と感情は私の中に息づいていたのだ。

 早くあの時の光景が見たい、早くあの胸の高鳴りを味わいたい。早くアリトロに足掛け*1を確認したい。

  なんてはやる気持ちを抱きしめたまま、WORLDISTAを見た。最高だった。“当時のまま”だった。

 それはただ単純な映像のつくりとしての意味だけではない。そこにあった熱量。NEWSからファンへの愛。ファンからNEWSへの愛。私が抱いていたNEWSが好きだという気持ち。

 昔好きだった音楽を聴けば昔の思い出が流れ込んでくるように、懐かしい香りを嗅げば記憶の蓋が開くように。WORLDISTAを見たことで、当時の愛とバワリーが私の中を駆け巡った。あ、私NEWSめっちゃ好きじゃん。一生好きだって思えるくらい好きじゃん。

 正直な話、今年の夏はNEWSを応援していることがずっと楽しかったかと訊かれれば即答は出来ない。もちろんNEWSへの愛は変わらずあったつもりだったけれど、なんというかSNSの流れだとか先行き分からない現状だとか変わってしまった周囲の関係性だとか、そういうものからくる疲れもあった。あとはもっとシンプルにコロナウイルスが蔓延する日常のままならなさとかも。

 例えるならば、ゲーム中盤で攻略に詰まった時のもどかしさや、新しい環境にほんの少しだけ慣れた時の居心地の悪さに近い。状況に変化が欲しいと願いながらも、実際に何をすれば良くなるのか分からなくなる感覚。

 と、そんな感覚から引っ張り上げてくれたのがWORLDISTAであり、そこに映っているNEWSだった。頭の中で理解していた「NEWSが好き」の気持ちを、あっという間に当事者としての「NEWSが好き」の気持ちへと連れていってくれた。

 

 というのが前置き。長い前置きだった。

 そんな風にWORLDISTAでぽかぽかになった心のまま、その日のうちに「クローバー」を聴いた。

 どうして聴こうと思ったのかは明確に覚えていない。多分そんなに大きな理由は無かったのだと思う。WORLDISTAを見て、ああNEWSが好きだなって気持ちを噛み締めていたら曲が聴きたくなって、そうして何か月ぶりかにクローバーを再生した。なんだか何か月よりももっと、ひどく久しぶりな気がした。

 そこで私は冒頭で書いた「気づき」を得た。

  曲の素晴らしさはもう説明不要だと思う。増田さんのパートの「辛くなるなら、聞かなくていい」「いつでもいつもここに来て」がやたら胸にじいんと響いてきたり、加藤さんのパートの「希望を手放さないで 絶望に手を出さないで」「僕らの手を握っていて そのぬくもりを忘れないで」に泣きそうになったり。

 そして次に流れてきた小山さんのパートで、衝撃を受けた。

「毛布みたいに包まれて あったかいならいいのに」って

どうして形を求めるの?

近くにあるよ いるよ 気づいてよ

そんな声が聞こえない?

耳すまし感じてもらいたい

僕の愛、あったかい?

いつでも君の心にいたい

  以上歌詞の抜粋。

「近くにあるよ いるよ 気づいてよ」がファンである“私”に向かって呼びかけられているように感じた。NEWSの存在はいつだってずっと傍に、心の中にあった。そこに居た。WORLDISTAを見て引っ張り上げられた感情。それが疲れている時もくすぶっている時も、本当にずっと傍にあったことに気づいたよ。永遠にNEWSのことが好きだ、とまた改めて思えたのだ。

 そう、これがどうしても言葉にしたいと思った「気づき」だ。

 

 友人間の会話で、しばしば「NEWSの愛は内向きだ」という話が上がる。

 コンサート中の演出でファンが「好きな人」のことを想って歌った歌声を(無断で)収録し、(サプライズで)CDの間奏に使用*2するなど、NEWSの愛は「身内」に向けたものが多い、と思う。

 もちろん誰が見ても素晴らしいものだというのは前提として、NEWSのことが好きならもっと楽しくなるというか、 そう思わせてくれるというか。

 この「クローバー」も、ある種そういうものだ。

 誰が見ても素敵な歌詞で、誰が聴いても素敵な曲。だけれど、ファンだったらもっと刺さる。愛に包まれている。そしてその愛の中に、ファンがいる。私はそれに気づいた。

 そして、それを踏まえた上で聴くと刺さるものがもう一つある。

STORY(アルバム)の中に収録されている、小山さんのインタビュー部分・「What is Love? -Interlude-」だ。

「お互いが、お互いを受け入れ合う。優しい心でいる。相手を認める。っていうのが、愛……だと思うなぁ……うん」

「一生続く愛は……、でもそれを信じて生きてるけどね」

「ファンの人はもちろんのこと、メンバーもそうだし。家族もそうだし。広げたらたくさんあるけれども、どこに向けても、その愛っていうのは続いてると思うし……それを止めちゃったときには、自分の存在価値というか、生きがいみたいなものがなくなっちゃう気がする」 

 「永遠の愛」からある種最も遠いかもしれないアイドルが、「永遠の愛を信じていること」の尊さと切なさがまずどうしようもなく好きだったのだが、その話はまたずれてくるのでどこか別で話したい。

 小山さん曰く、愛は「お互いがお互いを受け入れ合う」ことだ。

 この愛を「アイドルとファン」の関係に当てはめると、私が「クローバー」を聴いた時に得た「気づき」そのものになるな、と思った。

 お互いがお互いを受け入れ合うこと。お互いの矢印が、お互いに向いていること。

 NEWSの存在がすぐ傍にあったことに気づいた瞬間、私の矢印はぴったりとNEWSへ向いた。そこで生まれた沸き立つ感覚、「永遠」を信じる感覚。これが“生きがい”だ、と心から思えたこと。

 ――あ、これが愛だ。

 なんてただただ純粋に、真っすぐにそう思えた。

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と、ここまでが書き溜めていたものを完成させた文章。

 このブログを書いている途中で、小山さんと加藤さんの新型コロナウイルス感染が発表された。

 正味な話、感情はずたずたになった。

 まず最初にトレンドから目に飛び込んできたのは「STORY中止」の文字で、背筋がすっと寒くなるのを感じた。続いて「コヤシゲ」の文字を見て、TLを見て、コロナウイルス感染を知って。

 初めはただ、「お大事に」くらいに事を捉えていて、どちらかと言えばSTORY中止の方を悲しく思っていたのだけれど、よくよく発表を見れば発熱だとか咳だとか、そういう具体性を帯びた文字列が載っていた。それを読んで、自分の中でかみ砕いて。そうしていくうちにようやく実感が沸いてきた。

 後遺症が残らないか、とか今どうしているのか、とか、これからどうなるのか、とか。そして何より、心と身体は大丈夫なのか、と。

 個人的に、先日のNEWSが揃ったゴチの中で出た「小山さんが最近肺活量を鍛えるトレーニングをしている」の情報に沸き立っていたから、気管支系の症状が出ていることが本当に不安で心配で仕方がなかった。

  そしてもう一つ。

 久しく忘れていた、インターネットの悪意に直面した。

 詳細を書くのも胸糞悪くおぞましいので、ここには書かないけれど。

 私にとって、私の持つ倫理観にとって「あり得ない」悪意が蔓延していた。人としての超えてはいけないラインを超えているとさえ思った。

 私が見なければいい、とか個人の感覚の差ではとても済まされないくらいの悪意。

 色々のものがごちゃ混ぜになってずたずたになった感情を持ったまま、時間を過ごした。楽しいものを見ている時に素直に楽しいと思える余裕はあれど、ふとした瞬間に不安で不安でどうしようとなってしまう。

  ファンという存在は、こういう時にあまりにも無力だ。当然ながら。

 

 けれど、そんな気持ちを救ってくれるのもやっぱりNEWSだった。

 11月30日、NEWシングルである「ビューティフル」のMVがYoutubeで公開された。

「そのままでいいよ」と歌うこの曲は、あまりにも優しく私の心に届いた。

さりげなく気づく愛が こんなにも近くにあること

当たり前じゃない 分かってるけど

  このMV公開で初めて明らかになった、2番の歌詞。加藤さんが歌うこのパートはまた、私の中にある「愛」を再確認させてくれた。

 そしてその愛は、私のものだけでは無かったのだ、と思える出来事がその数日後に起こる。 

 NEWSの出演が取りやめとなった12月2日のFNS歌謡祭を、私は見ないつもりでした。見ると悲しくなってしまうから。

 けれども、TLに流れてきたこのツイートを見て、「見よう」という想いでいっぱいになった。 

  ただNEWSの出演を取りやめるのではなく(そうなったとしても番組の対応としては正しいと思うけれど)、NEWSのための企画を行ってくれた。

 そのことだけでもたまらなく嬉しかったのだが、番組内でも「当初の予定からちょっとだけ変更して」と、NEWSが出演予定だったコーナーで触れてくれたことや、本来NEWSがシャッフル企画で何を歌う予定だったのか伝えてくれたこと。テロップに「NEWSに贈る応援歌」と入れてくれたこと。そしてNEWSが飾る予定だったトリを、「NEWSに贈る応援歌」のweeeekで締めてくれたこと。

 全てが「NEWSはここにいるよ」と物語ってくれているようで、これまでNEWSが積み重ねてきたことの重さが、かいま見えた気がした。

 そしてまた同時に、“こんなにも近くに”NEWSの周りには愛が溢れていることを噛み締めた。

 インターネットの悪意を見て、私は勝手にNEWSを取り巻く悪意を嘆いて沈んでいたけれど。

 これまでのNEWSを見ていてくれた人。NEWSと一緒に仕事をした人たちは、ちゃんと大きな愛を持っている。テレビ番組の関係者さんも、出版社さんも、共演者さんも、みんなみんなNEWSにあったかかった。しょうもない人たちの言葉よりも、NEWSの周りの愛を信じようと、そう思えた。

 

「心は元気に」とラジオの最後で言う小山さんの言葉に何度も何度も救われてきたからこそ、今は「心は元気に」小山さんと加藤さんを。そしてまた再び歩み出すNEWSを待ちたい。 

 そうだ。ファンらしく、待とう。愛を持って、祈りを込めて。Youtubeを見てCDを予約して。

 そうして拓けた先の未来に、美しいNEW STORYが待っていると信じて待とうと、私はそう思ったのだ。

 


NEWS - ビューティフル [Official Music Clip (short ver.)]

 

 

 

*1:WORLD QUESTにて確認可能。当時フォロワー周りで毎公演の足掛けガチャが極地的な盛り上がりをみせた

*2:両A面シングル・トップガン/Love Storyは只今好評発売中!!!!

5月のはなし

 5月が終わろうとしている。と書いているうちに多分6月になるんだろうけど、まだ5月。気づけば最後のブログの更新も3か月以上前。その間でブログに書きたいことはいろいろあったけれど、ああでもないこうでもない、もっといい文章を書きたいとなんのかんのこねくり回しているうちに今になった。典型的な文章が書けない人の症状である。もしくは夏休みの自由研究で超大作を作ろうとしてるひと。結局時間が足りなくなるやつ。

 ひとつの区切りとして、今のわたしを文章に残しておきたいと思う。傑作を書こうという思いは捨てる。仕上がらない傑作よりも仕上がった駄作。そもそも傑作かどうかなんて判断するのは私しかいない。いやまず傑作とかあるのか? 面倒くさい自意識とはオサラバして、私は私を描くのだ。照れくささと自尊心はやめだ。今の私の「すき」をここに記す。

 

 5月1日。新天皇即位の日。に伴う改元の日。に伴う国民の祝日メーデー。扇の日。それでもって、私の大好きな人の誕生日。

 小山さんのことを好きになってから迎えるのは、3度目だ。1回目はまず誕生日を把握していなかったと思う。2回目のときは出先でブルーベリーのパンケーキを食べた。NEWSで騒ぐTwitterのアカウントも無かったので、いろんなものがごちゃまぜのアカウントに写真をアップして、なんだかちょっとくすぐったいような気持ちになったなと記憶している。

 それで、今年が3回目だ。端的に言うと、楽しかった。すっごくすっごく楽しかった。何日も前から誕生日が来るのを指折り数えて、珍しくイラストなんて描いて。それで、12時になった瞬間のタイムラインを眺めて、更新して、眺めて、更新して。それからKちゃんNEWSを聴いて。ルーティンに加わるようになったソロラジオはなんか、ファンと小山さんの対話の時間みたいだった。ゲストを迎えた日よりも幾分とふにゃふにゃした喋り方の小山さんはすごーく可愛いなあと思うと同時に、ああいつもはトークを回すことに気を張ったりしてるんだなーとか思ったり、めったに聞けない小山さん自身のはなしを噛み締めたり。

 一方でタイムラインは改元のお祝いもあったりとかで、いろんなお祝いが入り乱れていて、お正月が来たみたいな感じだった。めちゃめちゃ楽しかった。みんな楽しそうで、みんなが浮かれていた。私も同様に宙にぷかぷか浮いていたようだった。初めて、個人の誕生日でホールケーキを買った。プレートに書いてもらった名前はキラキラ輝いているみたいだった。

 

 その数日後にNEWS担で上品な鑑賞会をして、ハニトーが紫なことに大興奮なんかしたりして。そんでもってWORLDISTAの埼玉公演、長野公演があって。

 年末、初めてうちわを作ったときはすごく大変で、ひいこら言いながら完成させたけど、だんだんとうちわを作ることにもなれてきて、楽しくうちわを作ったりなんかして。

 思えば、5月はほんとうに楽しい事の連続だったのだ。そもそも、ほぼ毎週末にKEIICHIROの更新が約束されている。楽しくならないわけがない。週刊KEIICHIROだ。

 

 私はNEWSを応援していて、日々思うことがある。NEWSを応援することは、ログインボーナスの連続だ。

 毎日なにかしらラジオだったりテレビだったりWebだったりがあって、新しい情報が飛び込んできて。そのたびに私は幸せになる。心が躍る。楽しくなる。NEWSのくれるものはいつだってハッピーだ。

 ようは、そのログインボーナスをどう使うかって結局プレイヤー次第なんだ。

 貰ったログインボーナスをためてためてガチャを引くのも、プレゼントボックスにためたままにしておくのも、結局捨てちゃうのも、チート使って公式の想定と違う使い方するのも、プレイヤーがどうするかに委ねられてくる。

 ああ、とか話してたら6月になったな。こんにちは6月。

 ええと、そんでログインボーナスの話に戻ると。プレイヤー次第だったら、私は目一杯楽しみたいなと思っていて。だってせっかくNEWSがハッピーをくれるのに、私の都合でそれを楽しめないのはすごくすごく嫌だな~と思って。楽しむ努力をせず、勝手に嫌になるのは私の落ち度だ。もし私だけ楽しめないようなことがあったら、それは私の見方と感情のせいであって、公式がくれるものは何も変わっちゃいない。ログインボーナスは全プレイヤーに平等に配られていて、別に私に特別いいものが配られたりだとか、特別悪いものが配られたりするようなことは無くって、ただ、「ああこれあの時のあれとリンクしてんのかなー」なんて連続ログインボーナスがあったりもするくらいで。

 ちょっととっ散らかってきたな。だから、何が言いたいかって。私の都合で世界が変わるなら、私は全力で今を楽しみたい。過去も現在も全部「いま」の積み重ねだ。最高に楽しい「今」を積み重ねることによって、かけがえのない最高の「いま」にしたい。改めてStrawberryの歌詞最高だな……。

 

 で、この5月、というか、NEWS担になってからの日々は本当に楽しかったんだ。友達が増えて、友達がNEWS担になって、初めての遠征もして、CDの発売も円盤の発売もコンサートの日が来ることもメンバーの誕生日を迎えることも、なにもかもが楽しみで。もうこれ以上楽しいことなんてないんじゃ? って思ってると、次の瞬間には容易く上回ってくる。常に最高。常にハッピー。積み重ねてもっとハッピー。だから、6月も。これからの日々も絶対絶対ハッピーに決まっている。そもそも両A面で新譜が出るんだからハッピーにならないわけがない。

 去年の私、今スゲー楽しいよ。「充実してる」って一点だったら、たぶん人生イチだ。それでもって、その「人生イチ」はこれから先何度も何度でも更新されていく。明日もきっとログインボーナスがある。明後日も明明後日も。それが続いて、両手いっぱいじゃ抱えきれない幸せになるんだと思う。

 だから、そのために「明日から頑張れ」。今日の私も頑張るから。未来の自分に誇れるように、私は頑張りたい。そのために、「いま」を積み重ねて、歩いていきたい。


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WORLDISTA #想像することがみちしるべ のはなし

 

 

 

 

 

 

 

お題「NEWSアルバム『WORLDISTA』レビュー」

(お題お借りました。ありがとうございます)

 

 2018年2月20日。NEWSの10枚目のアルバム『WORLDISTA』がリリースされた。もとより最高が約束されたものであったが、やっぱり最高だったので曲の感想と、抑えきれなかった思考をつらつらと書いていく。

 

1.ログインシークエンス -INTER-

 アルバムの第1曲目。女性のナレーションの声でWORLDISTAへのログインを促される。

 500回くらい言われているが、ここにおいて最も引っかかることはWORLDISTAが「ベータプログラム」であるということだ。まだ試作品段階。

 更に言えば、この「ベータプログラム」という言葉は、「WORLDISTA」にしか掛かっていない。公式情報曰く、WORLDISTAはバージョン10まで存在している。更に、初回盤の特典にはWORLDISTAのバージョン1が付属している。つまりこのアルバムの中には2つ(特典映像にはバージョン2も登場しているが)のWORLDISTAが存在しているのだ。

 つまり、この「ベータプログラム」は、必ずしも「WORLDISTAバージョン10のベータプログラム」とは限らないのでは? 「バージョン〇」と形容する必要のない時代——バージョン1のベータ版である可能性も、否定できない。

 

2.WORLDISTA

 言わずと知れたリード曲。曲が公開する前はもっとピコピコした電子音の曲が来るのではを予想していたが、蓋を開けてみればものすごく壮大な曲だった。重厚感のある音と、壮大な世界の広がりを感じさせる歌詞。想像を超えた想像は、どこへでも行ける。

 そして、今までのアルバムプロジェクトの要素を内包している。「ネガエバ」という歌詞や子供の声。そしてなにより、「NEVERLAND」「EPCOTIA」とワードを出していること。

 

 これはWORLDISTAの公式サイトが公開された当時の私のツイートだ。字があまりにも汚い。

 創作物において、「メタ要素」というものは物語を引き立たせる要素としてプラスにもなりうるし、マイナスにもなりうる。このWORLDISTAにおいてはこと、その要素が重要なもので、おそらく意図して「我々の存在しているこの現実世界」の存在に干渉してきている。

 

3.オリエンテーション -INTER-

 私がこのアルバムで1番物申したかったのが、このオリエンテーションだ。

ゲームだけでなく、EPCOTIAのような宇宙旅行や、NEVERLANDのようなシュールな世界まで体験もできます。

 ここで明確に、EPCOTIAとNEVERLANDの存在を言葉にし、且つ

更に、NEWSのメンバーと一緒にゲームをすることも……

 「NEWSのメンバー」が存在する世界。それは私たちのいるこの世界だ。NEVERLANDでは案内人であったし、EPCOTIAではアテンダント、WORLDISTAではN.E.W.S社の社員(だとされている)だ。「メンバー」と形容するとは考えにくいし、「NEWSのメンバーと一緒にゲームをすること」を売りにするならば、やはりここで言うNEWSは、「アイドルグループのNEWS」と考えるのが適当ではないだろうか。

 

 そして、もう1つ触れておきたいのが、「NEVERLANDのようなシュールな世界」という言葉だ。

 NEVERLANDを形容するのに、「シュール」という表現は果たして適当なのだろうか? わかりやすく言うならば、「幻想的」や「ファンタジー」といった形容だってある。ならばなぜ「シュール」としたのか。

 そもそものシュールの辞書的な意味は、「超現実的」だ。超現実的。現実離れした、現実を超えた現実。——この、「現実を超えた現実」という言葉、見覚えがないだろうか。そう、リード曲「WORLDISTA」の歌詞だ。

想像ヲ超エタImaginary

Welcome to WORLDISTA

 現実を超えた現実のNEVERLANDと、想像を超えた想像のWORLDISTA。これは果たして偶然だろうか?

 

4.DEAD END

 4曲目。やっぱりTAKA3さんの曲は最高だぜ。

 タイトルが公開された時、おいおいま~た強い曲か?? 喧嘩が始まるのか??? とドキドキしたが、蓋を開けてみればハートフルハピネスだった。

 C&R要素がふんだんに盛り込まれているので、今からコンサートが楽しみでしかない。うぉううぉううぉう。

 予想なのだけれど、この曲の立ち位置はかなり重要なところにあるんじゃないかなあと。

 「熱量(パワリー)」というワードが楽曲で出てくるのはこの曲だけだし、何よりも「イメージを道しるべに」というワード。何度も何度も見てきた、「想像することがみちしるべ」という言葉との関連性を勘ぐってしまう。

その未来の先 見えなくなったら

声をあげて 前へすすめ

夜は明けていく 雨が上がるように

誰にだってそう イメージと道しるべに

 ここの歌詞を踏まえると、コンサート中に「未来の先が見えなくなるような出来事」が起こるのでは? 更に言えば、WORLDISTAの歌詞で「未来(アス)を描く」とある。あえて「明日」ではなく「未来」と表記した意味、ここにあるのでは。

 そうなると「声をあげて」は我々のC&Rか、はたまたEPCOTIA ENCOREでブラックホールから抜け出すときに歌ったあの歌か。「夜は明けていく」とブラックホールの関連性は? 全ての答えはきっと、コンサートにある。

 

5.CASINO DRIVE

 ま~~~~~たNEWSが女抱いてる……好き……。

 小山さんに「滴った蜜」って歌わせた音楽プロデューサーに金一封渡したい。ありがとうございます。この曲、全体を通して歌詞割が最高で、増田さんの「お相手はいますか? なんて聞くのは野暮だろう」は圧倒的””王者””感があるし、手越くんの「Target 君のことさ 全てつぎ込んだっていい」なんて言われてしまったら女はもう手越くんの虜だしシゲちゃんの「俺の胸で眠ればいい」はもう……何……??ほんとに……………いいの……………????恋……………小山さんは必ず狙いは外さないし……もう…………こまり………

 この曲多分ダンスがめちゃめちゃエロいので円盤ではマルチアングルでお願いします。

 

6.インビジブル ダンジョン

 あ、あ~~~~好きですね…………好きです

 小山さんの「本気で壁Break it」の「B」の歌い方がめちゃめちゃ好きなので全人類5億回くらい聴いてください。

 インビジブルダンジョンの意味、歌詞の印象から汲み取ると、目に見えない(=自分自身の思考の中にある)監獄(=自分を縛るもの)ということですかね。タイトルや歌詞の節々に出てくる単語は強めのものが多いのに、曲調はふわふわして宙に浮かんでいるようでその差が面白い。イヤホンで聴くと立体音響になってる箇所もあって、これもコンサートの演出がとても楽しみ。映像と光の演出がすごそう。

 

7.第一チェックポイント -INTER-

 コヤマス担生きてますか? 私はだめです

 EPCOTIAの異星人とのコンタクトについてがドツボだったのでもう……だめですね……小山さんにナレーションの仕事来てほしい(絶対絶対来て)

 

 で、気になるのはこのアルバムにおけるNEWSの立ち位置なんですけど、コヤマスはゲームの参加者でありながら、我々の道案内もしているんですよね。バワリーくれたし。私たちは「NEWSのメンバー」と一緒にゲームをしていたはずでは?

 そして、ここで初めて出てきた単語が。「ワールディスタカップ」とはなんぞや。

 おそらくオリンピックやゲームの大会とかそういうものだと思うんですけど、まるで”皆が知っているもの”のように何の説明もないんですね。WORLDISTAのサイトでも特に記載は無し。

 忘れてはいけないのが、私たちが最初にログインしたのは、「WORLDISTAのベータ版」であるということ。

 まだベータ版なのに、ワールディスタカップなるものが存在し、人々に浸透しているわけは?

 おそらく、このアルバムの中での時間軸は1つではない。

 この「時間も空間も無い」WORLDISTAでは、あながち間違いではないのでは?

 なので、この「第一チェックポイント」はたぶん、ベータ版よりももっと先の世界なんじゃないかと思った。それこそバージョン10が存在する世界。時間軸がもっと先なら、ここに登場するコヤマスは「アイドルグループNEWSのメンバー」ではなく、「ゲーム会社N.E.W.S社の社員」である可能性もある。NEWSの立ち位置を明確に明らかにしていない理由も、NEWSが「案内人」や「アテンダント」といった固有の役割ではなく、アルバムの中で複数の役割を持っているからだとしたら筋が通るのでは。意図的にNEWSの立ち位置を隠している?

 

8.SPIRIT

 「仮想空間」というコンセプトから外れたサッカー曲を、「eスポーツゾーン」という立ち位置をおいて組み込むのが素直に上手いなと思った。

 この曲、イントロの時点でもう多幸感が半端なくて好き。そしてパート割が天才。

 小山さんの低音域から高音域まですべて楽しむことができる小山担よくばりセット。最高。

 手越くんに「この魂(うた)は終わらない」と歌わせるところが最高すぎて脳内麻薬がドバドバ出てしまう。いやシゲちゃんの「諦めることだけただ 諦めてしまえばいいんだ」とかも最高だし小山さんの「ずっと ずっと 空の遠く 僕らは夢をみた」も最高だし増田さんの「譲れない思い譲らないように」も最高なんですけど……全部最高だ……

 ROTでもクローズアップされましたが、EPCOTIA ENCOREの衣装がすごくすごく好きなので衣装展を何に替えてもやってほしい。増田さんの解説コメント付きで。

 

9.BLUE

 シンプルに曲が良すぎる。泣く曲じゃないのに泣いてしまう。泣かないで。

 これは多分シゲ担が100万回言ってると思うんですけど、「青い鳥、地球、サファイア 空、海、揺れるツユクサ」を歌う加藤シゲアキが最高に好き。文学という概念の擬人化か?

 和楽器を使っているのが本当に好きで、一時期インストを延々と聴いてた。NEWS知らない人に和楽器バンドの新譜だよ~って聴かせたら信じるんじゃないかと思ったけど開幕のアイーダであ!!!!サッカーだ!!!!!ってなるのでだめですね(だめです)

 真面目な話、NEWSの曲はどれもこれも最高なのでインストだけ集めたアルバムを売ってほしい。アルバム曲とかめっちゃインスト欲しい……って曲がいっぱいあるので……神様JE様石油王様頼む どうか

 

10.FIGHTERS.COM

 け、喧嘩だ~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!!!!!!最高

 増田さんの「パスだ! パス!」で殴られたい……ラップがめちゃめちゃ心地いいですね。増田担生きてる???

 手越君のシャウト、絶対絶対コンサートで映えるだろうなあと今からワクワクしてしまう。音源の時点で「手越くん歌うっま!?!?」ってなったんですけど、コンサートでは多分「手越くん歌うっっっっっま!!!!?!?!?!?!???!?!!!!!!!!!!!!!」くらいになる。わかる。

 「行くぜ Top of topTonight' the night」の4人で歌い継いでいくところが最高に好き。いやほんと最高。

 

11.発表会 -INTER-

 突然の大塚芳忠さん。初めて聴いた時「!?」ってなった。

 Twitterでも見かけましたが、なんでここの位置に「発表会」なのかなんですけど。

 私はやっぱり時間軸がずれてると思うんですね。

 最初のナレーションの女性だけ、自分の役割を告げていないんです。NEVERLANDのミスターインポッシブルも、EPCOTIAライナーの機長のコーティーティプトリーも、WORLDISTAのN.E.W.S社の社長(正確には社長とは言っていないけれど、会見しているので社長もしくはそれに準ずるような立場の強い人だと思う)も、明らかにしているのに。

 じゃああの女の人は誰なのかって話なんですけど。ちょっと今出ている情報だと考える材料が足りないから、メタ的な目線で考えると、N.E.W.S社の前社長かWORLDISTAの初代開発者とかでどうかな~と。SFでよくある展開。あとはWORLDISTAの案内用ゲームキャラとかもありかなと思ったけど、声質に人間らしさがある方なので、個人的には前者かな~と思ってます。

 だから、ここの発表会の時間軸はベータ版が出た当時ではなく、「バージョン10の発売日」じゃないかなあと思いました。

 

 あとちょっと論拠が弱いから、もしかしたら? 程度の話なんですけど、ここで発表している「WORLDISTA」と、今まで発表してきた「9つものイノベーティブな作品」がまるで別の可能性もありうるか……? 選んでいる言葉から受けた印象的に、そう見える気もする。公式サイトの「WORLDISTA」と「ワールディスタ」の表記ゆれと何か関係があるかな……。

 「耳から脳にシンクロする」WORLDISTA(ワールディスタ)と、「アイギアをつけてゲーム世界に入る」WORLDISTA(ワールディスタ)の2種類が存在するのかもしれない。

 

12.Digital Love

 ウ~ン好き!!!!!!(好き!!!!!)

 イントロのメロディーが2Dゼルダを彷彿とさせてめっちゃ興奮しました。

 今回のアルバム、本当にどれも好きな曲なんですけど、ソロ曲以外で好きなものをひとつ選ぶとしたらこの曲になりそう。

 多分振り付けがめちゃめちゃ可愛いですね。いや絶対可愛い。

 小山さんの歌う「真夏のスノービーチ 水着でホーリーナイト 想定外のシチュエーション」が絶妙にチャラくて概念”””慶ちゃん”””で最高に好き。金一封。

 

 で、この曲の最後なんですけど、女性の声でナレーションが入るんですね。

おめでとうございます。718バワリーを獲得しました。

 なぜあえて曲の中にこのナレーションを挿入したのかなんですけど、時間軸の乱れのヒントなんじゃないかなあと思いました。

 ナレーションが女性の声→男性の声に変化することで時間経過を暗喩しているのなら、ここで女性の声が挿入されたことで、”過去”の時間軸の出来事であると示唆しているのかなと。

 それを示す可能性として、オリエンテーションでの言葉があります。

オリエンテーションとして、まずはNEWSのメンバーと勝負するスペースレースから始めましょう。

 この「スペースレース」がよくわからないんですけども(造語か? 実在する1973年のアーケードゲームを指すのならば、時代を指す根拠にもなりうる)Digital Loveの歌詞の中に「宇宙旅行のサプライズ タイムマシーンでDriving」ってあるんですね。

 スペース(=宇宙)とレース(ドライブ)でこう……結びつきませんかね……ちょっと苦しいけど……。

 なので、作品中の時間軸としては、オリエンテーション→Digital Loveなんじゃないかなあと。

 

13.リボン

 いや……あの……好き…………………。

 Kacoさん作曲の時点で覚悟はしていたけれども。いやだってこんな……。

 1つのアルバムをめくるような、そんな曲。アルバムに映る”あなた”はもういないんですけど…………。

 小山さんの「あなた いないから」の「い」の歌い方と、増田さんの「あの日くれた シアワセに」の「ア」の歌い方でだめでした。泣いてしまう。

 

 WORLDISTAとしての立ち位置なんですけど、リボンがどこに位置するのかよくわからないんですよね。「恋愛」ゲームにしては悲しすぎて、”想像"というよりも”現実”のものに近い。ただの妄言なんですけど、WORLDISTAにログインする前の現実の出来事とかだったら面白いな~と思った。

 

14.クイズ -INTER-

 突然のミスターインポッシブル。いや何で?????

 あまりにも異質なんですよね。明確に「NEWSのメンバーの加藤さんと手越さん」が登場している。第一チェックポイントのコヤマスとは対照的だ。

 言い回しも気になりますね。「NEWSが初めて”発表”されたのは?」は、”NEWS”がアイドルグループを指すのならば、”結成”が適当では?

 ひとつ、可能性として挙げるならば、発表会の言葉ですかね。

今日は、私にとって15年間待ち続けたプロダクト、いや、夢を発表する日です。

 この「15年前」に発表されたのが、”NEWS”だったら?

 発表会の感想で、WORLDISTA≠9つものイノベーティブな作品説を挙げましたが、これで辻褄が合いませんかね。

 15年前に”NEWS”が発表され、その間に9つ作品を発表し続け、それの完成形が”WORLDISTA"である。

 

 で、何でミスターインポッシブルが出てきたのかなんですけど。

 オリエンテーションでは、NEVERLANDは「シュールな世界」として形容されていました。現実を超えた現実——”現実”の暗喩としてミスターインポッシブルを登場させている? だからここで登場するNEWSは”現実”にいるNEWSで、だからチャンカパーナ発売日なんていったメタ発言がぽこぽこ飛び出てくるのでは。

 正直ここは謎しかなくて考えれば考えるほど沼にハマっていくのでここまでで。Twitterで見かけた6枚目のアルバム(=White)が飛ばされている(=Whiteが存在していない世界説)も面白くてすごく好きです。答えはコンサートで。

 

15.サンタのいないクリスマス

 まさかの失恋ソング。そうくる!? きてた

  歌いだしの手越くんの歌声が綺麗すぎて心が浄化されるんですよね……いや失恋ソングなんですけど……

 春発売のアルバムなのにクリスマスソングを入れられるのは、WORLDISTAという特殊な世界観のおかげですね。

 気になるのは、WORLDISTA(ゲーム)の触れ込みの「毎日がクリスマス」とはかけ離れていること。彼女をサンタに見立てた歌なので、毎日サンタがいる(=毎日がクリスマス)という見方もできるけれど、やっぱりここだけ比喩表現なのは不自然だなと思う。

 あとこれは願望なんですけどサンタのいないクリスマスからNEWSICALの流れとかありませんかね??????????あって

 

16.Strawberry

 名曲。歌詞カード見ながら聴いてたら知らないパートがあって!? ってなった。ありがとうNEWS ありがとう………

 改めて歌詞を見ると全員の個性が爆発しすぎていて愛おしくなってしまう。小山さんの「積み重ねた過去(いま)があって かけがえのない現在(いま)になって」が好きすぎてしみじみとしてしまう。今この瞬間が、かけがえのない現在だと本当に思う。

 

17.「生きろ」

 去年浴びるほど聴いた曲。聴くたびに印象が更新されていったが、こうやってアルバムで、Strawberryの後に聴くとまた違った印象がある。

 曲のパワーが強すぎるから、アルバムに収録するのは、特にコンセプチュアルなこのアルバムに収録するのは難しいのではないかと思っていたが、上手いこと流れが噛み合っていた。すごい。

 何度聴いても新鮮に感動する大好きな曲。

 

18.エンディング -INTER-

 疑問なのが、どうしてエンディングがここの位置なのか。「生きろ」の後にエンディングがあるということは、「生きろ」はWORLDISTAの”中”の曲ということだ。NEVERLANDにおけるU R not aloneやEPCOTIAのHAPPY ENDINGとは違う立ち位置にある。 

 その2曲が我々を現実に送り出すための曲だとしたら、その曲が無い今作では、我々はまだ想像の中だ。現実に帰れていない、宙ぶらりんのままでエンディングを迎えた。

 あとちょっと気になるのが、バワリーの使い道。バワリー(=熱量)を持っているから我々はワールディスタカップに参加できるが、その前の言葉も重要なのではないかと思う。

ゲームをしていて、既に気がついていたでしょう?

バワリーは、アイテムをゲットするための、単なる仮想通貨ではないということ。

 別にアルバムの中でバワリーは仮想通貨として使用されていない。となると、”これから”バワリーを仮想通貨として使用する機会がきてもおかしくないのでは? それこそ、ワールディスタカップで。

 

 あと発表会で女性の声はゲームキャラではないって言ったけどやっぱ違うかも…………(手のひらくるくる)

 「2012万」「718」「バワリーを獲得しました」って区切って読んでるので、あらかじめ録音してあった定型文を組み合わせているタイプのゲーム音声かもしれない……いやその元々の声が前社長とかかもしれないんですけど(?)

 

19.Symphony of Dissonance(増田貴久)

 イントロから既に引き込まれた。

 「白昼夢を冒険しよう 明晰夢に立て篭もろう 好きな楽章だけリピート」の歌詞がめちゃめちゃ好き。みっつの文節の指すことは同じことなのに、それぞれ違うアプローチと距離感で表現しているのが好き。特に「好きな楽章だけリピート」の部分。

 Thunderと同じ制作人と聞いて身構えていたので大けがですんだんですけど、たぶんコンサートで聴いたら死にそう。生きろ。

 

 20.DoLLs手越祐也

 曲調がバチボコに好き。作曲手越祐也? て、天才…………。

 サビの駆け抜けるような疾走感と、それを歌いこなす手越くんの高音が聴いていてとにかく気持ちがいい。そこからの「俺は人形なんかじゃない」がもう…………もう……。

 コンサートでどういう演出をするのか全く想像がつかないので、そこもすごく楽しみ。いやしかし手越くん本当に歌がうまいな…………。

 

21.Going that way(小山慶一郎

 最初の一音節目から死んだ。コンサートで「Going that way...(低音)」でドアップモニターに抜かれて悲鳴を上げるところまで容易く想像がついた。

 タイトルが発表されたとき、いったいどんな曲なのかと気が気じゃなかったんですど最高でした。最高です。

 しっとりと歌い上げる曲を想像していたので、まさかこんなクラブミュージックがくるとは。ありがとうございます。

 いやほんと~~~~に、このタイトルでこの曲調の曲を持ってくる自担があまりにも好きすぎて改めて好きを更新しました。好き。

 「怯えてた夜に答えはない」と歌う自担、あまりにも好きすぎて一生幸せでいてほしい。幸せであれ。

 

22.世界(加藤シゲアキ

 世界ですよ、世界。加藤シゲアキの世界。

 歌詞のひとつひとつが文学で、90年代後半~00年代前半の小説を読んでいる気分だった。

 「雨ざらし 空の向こうに一羽のルリビタキ」という歌詞がすごくで好きなんですけど、それに続く「一体あれはなんだったのか」が大好き。ただ情景を歌うのではなく、それを見たときのなんというか無常さというか、世界と比べた時の自身の存在の小ささというか、そういうものが浮かんだ。

 最後の「貴様が世界だ」の「貴様」は自分自身のことだろうかと思ったんですけどシゲ担の皆さんどうですか?

 ”自分”を”手前”と指すことの延長とか、自問自答か、過去や未来や立場の違う自分への言葉か。すべてを明かさない文学性が大好き。

 :

 あと、ソロ曲をアルバムの本筋と絡めていいのかというのもあるけれど、”WORLDISTA”の最後の曲にこの曲を据えたことがものすごく好き。想像という広大な世界も、四畳半の小さな部屋も、自分自身も、全て全て世界だ。

 WORLDISTAというタイトルが発表されたとき、世界がどの尺度で来るのかを楽しみにしていたので、

 NEWSのくれた答えがたまらなく嬉しい。アーティストとして、創作者として尊敬できる。

 

 

 

 この「WORLDISTA」というアルバムは、今までのアルバムよりも癖が強い。癖が強いというよりは、話の核が見えてこないというほうが正しいか。

 そしておそらくその核は、意図的に隠されている。だからこんなにもこのアルバムには底知れぬ恐怖感がある。大切なものは何も知らされないまま、”想像”の中の幸福を享受しているような、自分の知らないところで大切なものが動いているような、そんな感覚だ。

 ツアーが始まるまであと僅か。我々は答えを想像しながらその日を待つ。それがきっと、この仮想空間から抜け出すための”道しるべ”になるだろう。

 

EPCOTIA ENCOREの感情のはなし

お題「NEWS DOME TOUR 2018-2019 「EPCOTIA ENCORE」続・宇宙旅行記」

(お題お借りしました。ありがとうございます)

 

 2019年1月1日、及び2019年1月7日。これは私にとってきっと一生忘れないであろう「はじめて」の日だ。はじめて誰かと始発の新幹線に乗った日。はじめて大阪に行った日、はじめてジャニーズのコンサートに行った日、はじめてNEWSのコンサートに行った日。

 その時に生まれた、「はじめて」の感情を私はどうしても忘れたくなかった。だからこれから、この記事の中に感情を置いていく。

 

◆はじめてについて

 先のブログでも書いたように、私は一昨年の春にNEWSを好きになった。のが、今になってどうして「はじめて」になったのかというと、ただ単純に尻込みをしていた。

 好きになったばかりの私がコンサートに行っていいのか? もっと好きな人が行くべきなのでは? 私がコンサートに行ったら、周りのファンとの「好き」の差が浮き彫りになってしまうのでは? 私がNEWSを好きになった時、NEVERLANDツアーの申込みは既に終了していたが、EPCOTIAのアリーナツアーはそんな気持ちで申し込まずに見送った。あとは何となく肉眼で彼らを観るのが怖かったんだと思う。円盤ですでに眩しいぐらいにキラキラしてたから、直視したらどうなるのか想像がつかなかった。

 そして6月が過ぎ、Strawberry。色々な感情がまぜこぜの中、申し込んだものの落選。個人的な事情の話をすれば、丁度仕事がドドド繁忙期だったので当選していても、もしかしたら行けていなかったかもしれないのだけれど。

 まあそんな感じでStrawberryも見送った。けれども、丁度高校からの友人がNEWS沼に落ちたのもあり、毎日友人とのLINEなりTwitterなりでNEWSの話をしたり、ラジオを聴いたり雑誌を買ったりと、コンサートに行ったことがないなりに楽しくオタクとして生きていた。毎月何冊も特集が載った雑誌が出るというのも、今までとは違う文化圏の出来事だったし、毎週レギュラー放送のラジオがあるのも大変に有り難いことだった。新しい情報に、新鮮に"好き"を更新していく毎日だった。

 そのぶん、NEWSを好きな気持ちをインプットすることは充分に出来ていても、アウトプットすることがなかなか出来ていなかったのだと思う。

 

◆コンサートについて

 だから、コンサートを経ての感情の波が凄かった。

 身体中で「幸せだ!」と叫んでいた。コンサートそのものがとにかくはちゃめちゃに楽しかった。良質のエンターテインメントを耳と目と肌で感じた。

 今まで溜めに溜め込んでいたNEWSを好きだという気持ちが、一気に結晶になっていったようだった。

 

 一曲目。EPCOTIAの前奏からワアワアと血が沸騰しているようだったし、なんなら開演と同時にペンライトが一斉に消えたあの瞬間からテンションは最高潮だった。

 自担の歌割りの中でも、ともするとNEWSの歌詞の中でも私が一番好きな歌詞がこのEPCOTIAの「絵空事なんかじゃない 僕らは此処にいる」の部分なのだけれど、とにかく演出が最高だった。アリーナツアーのレポートを後から見て、申し込めばよかったと死ぬほど後悔したのもここの演出の部分の比重が大きい。

 それまでスクリーンにNEWSの姿は映っていなかったのに、2番のはじめ、自担のこの歌割りからNEWSが映し出される。そこで起きる歓声に、目に映る景色に耳から入る音楽に、身体の全ての細胞が今この瞬間を楽しんでいた。たぶん、好きに致死量があったら私はあの時死んでいた。

 だってこんな、こんな素敵なことがあるか。アイドルが。偶像だと言われるアイドルが。画面や紙面の向こうの存在であったアイドルが。「絵空事じゃない」と歌うのだ。「僕らは此処にいる」と歌うのだ。そしてそれを、私の大好きな人が歌うのだ。

 個人的な解釈の話をするならば、私の中で「ここにいるよ」は「I love you」と同義であるので、めちゃめちゃに興奮した。詳しく書くと脱線したまま戻れなくなるので新海誠の「ほしのこえ」を見て欲しい。最高。

 

 そこからの流れは遊園地のアトラクションに乗せられているように目まぐるしく過ぎていき、そのどれもがカラフルでハッピーで楽しかった。こんなに楽しいことがあっていいのかと思った。いい。

 私に語彙と表現力があれば掌編小説一編ぶんの感想を全曲書きたいところだが、そうではないのでコンサートの中で特に残しておきたかった感情を書く。

 

 コンサート中に腰が抜けた箇所があった。「夜よ踊れ」の、最後のフレーズ。微かに残ったあの夜のナンバー。自担のパートなのだが、駄目だった。なんかもう、駄目だった。脳の処理速度が追いついてなかった。あまりにも好きだった。あまりにも格好良かった。

 この曲において、衝撃的なフレーズは言わずもがな、「君の、君の美貌が僕を狂わせた」だと私は思っていた。事実、このパートの破壊力はとんでもなかった。ドーム全体が固唾を飲んでフレーズを言い切るのを待つ静寂は、多分あの時世界一幸せで溢れた静寂だった。

 CDで聴いていた印象だと、とにかくその箇所の印象が強かった。のだけれど。コンサート聴くそれはまるで違う印象だった。

 生バンドだったこともあってかイントロからもう興奮は最高潮で、一瞬で曲の持つ匂いに引きずり込まれた。手越くんの妖艶な歌声が、増田さんの甘やかな歌声が、小山さんの正体を掴ませない登場人物を思わせるようなラップが、加藤さんのセクシーな声が紡ぐ台詞が、その全部が溶けて混ざり合ってひとつになって。ひとつの「夜よ踊れ」という香水になっていたようだった。

 そうやってむせ返る香水の香りの中でくるくると翻弄されていると、漸く終わりが見えてきて、ああ名残惜しいなと思っていた。そこで放り込まれた爆弾が、最後のフレーズだ。自担は、「あの夜のナンバー」の中に溜めを作り、余韻を残した。その余韻は、肌に残る引っかき傷のように、記憶に留まる香水の香りのように、私の感情に爪痕を残した。最高だった。それはもう、腰が抜けるほどに。

 

 私はといえばそうやって腰を抜かしていたが、時間は1秒だって待ってはくれない。「LVE」のイントロが肌を殴った。私の柔らかくなっていた感情はいよいよ無理だと言っていた。

 「LVE」という曲については色々と書きたいことがあって、下書きに眠っているのだけれど、今回は置いておいて。

 私はこの曲が好きだった。何が好きかといえば、昨年の夏のシングルのカップリング曲にこの曲を選んだプロデューサーが、曲を作った制作陣が、この曲を歌うNEWSが好きだった。好きという感情の大きな理由は、そこだった。

 ENCOREで、この曲を聴いて、この曲の演出を見て。圧倒された。格好良かった。とにかく格好良かった。肉眼ではなく、スクリーン越しに見えるNEWSの姿が格好良かった。皆、「生きて」いた。絵空事なんかじゃなかった。音の圧が波になって身体を駆け巡った。びりびりと痺れるようだった。

 1回歌うごとに寿命が縮んでいるのでは? と思わせるくらいに、彼らは身を削って、全身全霊で叫んでいた。だからかそれは、私の心にぐさぐさと刺さっていった。「愛がなくては生きていけない」

「希望がなくては前に進めない」

「信仰がなくては悪意に勝つことはできない」

 強すぎる言葉の銃弾は、決して暴力ではなかった。言葉に形容してしまうと陳腐になってしまうだろうそれは、色々なものがぐるぐると混ざっているようだった。ただあえて、なにか言葉にするならばそれは、「むき出しのやわらかいもの」だろうと思う。「LVE」は暴力ではない。全てを曝け出してぶつけてくるけれど、こちらを攻撃するという意図はないのだと感じる。

 思うに。きっとこれは、こちらへ向けられた救いの手であると同時に、自身への救済だ。

 言葉は強いが、この曲で言っている内容は底抜けにポジティブなものだ。「前を向け」と。

 私はコンサートで曲を聴いて、どこか不思議な暖かさを感じた。精神の深いところで寄り添ってくれているようだと感じた。これが"救いの手"だ。

 そして、自身(ここで言う"自身"は誰か特定個人を指すものではなく概念的な話だ)への救済。それは「ひとりじゃないんだ」というフレーズだ。ここを、ここを自担が歌った。泣いた。いや泣くって。他のパートはむき出しの自身をそのままぶつけて来るような力強さがあったが、「ひとりじゃないんだ」を向ける先は、まるで自分自身に向けてるような静けさと儚さがあったように感じた。その表現力は、なんとうかもう1人のアーティストとして好きになるほか無かった。

 それに紐付いて、コンサート終盤、「HAPPY ENDING」で「1人だなんて間違えないように」のフレーズを聴いて、更に泣いた。ひとりじゃない。コンサート会場は、たくさんの愛で溢れていた。

 「LVE」という曲は、色んな方向に銃弾を飛ばした曲だ。そしてその方向は決して世間や外野といった、"外側"ではない。"内側"に向けられた弾丸は、自身を削って想いを乗せていく。そういう曲だと私は思う。

 

◆悪意と愛について

 すごく脱線したのでコンサートの話に戻る。書き記そうか迷ったが、コンサートで生まれた大きな感情なので、これも形として残そうと思う。

 このコンサートで私は沢山の愛を見た。溢れんばかりの愛だった。そして、ひとつの悪意を見た。すごく悲しくなった。私はその悪意を絶対忘れないだろう。

 悲しいことなので仔細は書かない。

 直後はすごく腹が立ったし、何でこんな事でコンサートを楽しむ気持ちにノイズが入るのだと憤った。が、後々振り返ると、悪意の持ち主も、別の誰かへ向ける大きな愛を持っていた。うちわを持って自身の担当からファンサを貰おうとする姿は、周りの"ファン"と何らかわりのない姿だった。

 それまで私はきっと、"悪意"は純粋な悪意の塊なんだと思っていたのだろう。けれども、現実はそうではなかった。大きな愛がそこにはあった。そこで私は、すとんと理解した。悪意はきっと、無くならない。愛と結びついているから。悪意だけなら未練は産まれない。愛があるから未練が産まれ、執着が産まれる。だから、愛と結びついている以上、悪意だけを取り除くのは不可能だ。そして多分、悪意は誰の中にも存在しうる。

 だから、もっともっとたくさんの大きな愛で世界が溢れていけばいいと思った。持っている悪意が霞むくらい、大きな愛がそこにあればいい。だから私は、これからもっと愛を叫んでいくだろう。そうすればきっと、今よりも愛が大きくなっていくだろう。そうしていけば少なくとも、私の中で悪意は育つことがないだろう。育つスペースがないくらい大きな愛を育てていくから。

 

◆終わりについて

 コンサート終盤、「生きろ」が歌われた。

 自担のパートで特に好きなのが「終わりなき青春」の部分なのだけれど、ここを聴いてまた泣いた。何度目だ? わからん

 コンサートの終わりが近づいていることが肌で分かる。終わって欲しくないなと思っていた。そこで聴く「終わりなき青春」のフレーズは、まさしくこのコンサートの事のように思えた。勝手な願望ながら、自担もこのコンサートに終わりを迎えてほしくないと感じていればいいなと思った。

 私は自担の歌声が大好きなのだけれど、とりわけ好きな瞬間が声に感情が乗っている瞬間で、この「終わりなき青春」はまさにそれだった。

 少し震えた声で、過ぎていく現在を惜しむように、離し難いように、慈しんでいるようだった。ほんとうに、泣けるほど愛しかった。ペンライトが作る、MVを思わせるような金色の海の中で、ただただかけがえのない現在を噛み締めていた。

 

 そして先程も触れた「HAPPY ENDING」。皆がステージの上に現れ、キラキラを振りまいている姿はまるで、舞台のカーテンコールのようだと思った。現実の世界から"EPCOTIA ENCORE"という夢のような世界へやってきた私は、この曲で現実へ送り届けられたようだと思った。もしくはかけられていた魔法が解かれるような、舞台セットを崩すような、そんな感覚。

 コンサート中に胸に刻まれた感情だけをお土産に、私は夢の"終わり"を迎えた。

 

◆自担とアイドルについて

 流れを断ち切って、あまりにも好きだと思ったのでここに書く。

 自担が、アイドルだった。

 それは言葉通りの意味ではなく、概念的な話だ。

 「LIVE」にて、NEWSは惑星型のバルーンに吊るされていた。可愛かった。

 加藤さんは自由にくるくる動いてたし、手越くんはキラキラを四方八方に振りまいていたし増田さんはマイナスイオンを発生させていた。

 一方自担は、高さに怯えていた。

 これはネガティブな意味ではなく、限りなく臨界点に近いポジティブの意味だ。

 ワイヤーをがっちりと掴む自担が可愛い。客席に手を振る自担が可愛い。その後で光の速さでワイヤーを掴む自担がめちゃめちゃ可愛い。自分のパートで替え歌をして恐怖をアピールする自担がものすごく可愛い。

 高所恐怖症は、萌えポイントでも何でもない。本人にとっては紛れもなくただの恐怖だ。けれども、自担はそれで終わらせなかった。

 打ち合わせで演出の拒否をすることもできただろう。吊られてる際、恐怖の顔を浮かべることもできただろう。そんな中、自担は「可愛い」に昇華させた。ああなんてキラキラしたアイドルなんだろうかと思った。それは、"小山慶一郎"という"個"が"NEWSの小山慶一郎"という"アイドル"を我々に見せてくれている瞬間だった。

 

 そしてもう一点、しみじみと"アイドル"だなあと思ったことがあった。

 自担の髪色が明るくなっていたことだ。

 少し遡って昨年の12月21日のMステスーパーライブにて。自担の髪型が、変わっていた。私の心に穴が空いてからすぐの出来事だ。私はその時、自担は"アイドル"として前を向いているのだなと勝手ながら解釈した。

 そのことを踏まえての、EPCOTIA ENCOREでミルクティーアッシュの髪色を見たときの衝撃といったらもう、もう。

 これは私の願望が強いのだけれど、"ファン"が求めるものに対して、応えてくれているのではないかと思った。"NEWSの小山慶一郎"というひとつの概念に寄せてくれている。本当のことは分からないけれど、少しでもそうであるならいいなと思う。

 

◆総括

 一言で言ってしまうと、最高だった。キラキラの波が、幸せの渦がドームいっぱいを席巻していた。世界中から集めた幸せがドームに留まってるのではないかと思った。

 はじめてのコンサートは忘れられないはじめてになった。コンサートとして、エンタメとして、創作物として、これ以上無いくらいの満足感がそこにあった。

 はじめてがこんなに良いものだったならば、次は満足いかないのではないかという不安は微塵も無い。あるのは、きっと私には想像も及ばないものを魅せてくれるのだろうという確信と期待だ。それだけの説得力が、純粋な力が、NEWSにはある。

 だからあと数時間もすれば私の心は踊るだろう。そして、来月から始まる"W"のツアーへの期待で満ち溢れていくだろう。そういう感情をくれるのがNEWSであり、NEWSのコンサートなのだと、思う。

駄々をこねるはなし

 昨日、心臓に穴が空いた。

 私の大好きな人の、大事な大事なお仕事が終わりを迎えたのだ。

 TLを開く。流れてくる反応を見る。思考が明瞭になる。動悸が主張する。喉の奥がキュッと締まる。寝ていた身体をがばりと起こした。「まさか」という気持ちで検索を掛けた。そのまさかだった。気づいたら大人のくせに声を上げて泣いていた。

 これからここに綴ることは、誰が悪いとか誰が悪くないだとか、仕方がないとか仕方がなくないだとか、一切そういった理性的なものは無い。ただの一人の、小山慶一郎のファンの駄々だ。

 

 昨日からぐるぐると考えていることがある。私が持て余しているこの感情は一体何だ?

 悲しいという感情。寂しいという感情。悔しいという感情。諦め。安堵、納得。そのどれでもあるようであったし、どれでもないようでもあった。

 5分前の私の感情は「小山さんが決断したことだから」と言い、1分前の私の感情は「どうしてこんな幕引きに」と言い、今の私の感情は「嫌だ嫌だ」と言う。そんなことを繰り返していたら1時間が経ち2時間が経ち、気づけば日付を超えていた。

 

 夕飯を摂るのもそぞろに、TLに流れる言葉を見ていた。

 私のTLに流れる言葉はどれも暖かく、小山さんのファンも小山さん以外のメンバーのファンもみんなみんな悲しんでいて、ああ小山さんのことが好きな人はこんなに沢山いるのだなあと思った。

 

 ずっとずっと心に残っている言葉がある。

 先日放送された、SONGS OF TOKYO。MCの中で、「NEWSの中で誰が一番好きか」を問うていた。小山さんの名前は挙がらなかった。それだけだったら気にも留めなかった。小山さんのことを好きな人がたくさん居ることはしっていたし、たまたま答えた人が小山さんのファンではなかっただけの話だ。

 ずっとずっと引きずっているのは、その後の小山さんの言葉だ。

「いいのいいのいいの。うん。慣れてる慣れてる。大丈夫大丈夫」

 すごく優しい声だった。それは本音を見せまいとした優しさなのか、場の空気を壊さないようにした優しさなのか、それとも特別な意味はないのか、私には分からない。ただのファンだから。

 そんなただのファンの私は、それを聞いて泣いてしまった。なんともゆるい涙腺である。

 アイドルが"選ばれない"という事に対して"慣れている"こと。それをまるで負の感情を出さずに言葉にしたこと。なんて寂しい言葉なんだ。

 その言葉を引きずっていた私は、昨日のTLを見てやっぱり泣いてしまった。小山さんは"慣れてる"と言ったけれど、少なくともここは全然そうじゃない。小山さんへの愛で満ちていた。

 それはファンだけの話ではない。NEWSな2人で仕事を共にした原田さんのツイートも、今週のKちゃんNEWSで語られていた、氣志團綾小路翔さんとの食事も、そして勿論藤井キャスターのの言葉も。小山さんの周りは、悪意よりももっともっと暖かいもので溢れているのだ。

 

 話を戻す。

 私が何に駄々をこねているか。それはとてもシンプルな話で、小山さんの降板が受け入れられないのだ。

 物事を俯瞰的に捉えれば、降板を受け入れるべく理由が見えてくる。これからキャスターをやる上で「読めるニュース」と「読めないニュース」が出てくるであろうこと、そして読めないニュースを読んでしまったら、無数の石を投げられるだろうということ。

 あとこれは私の想像でしかないが、もしもそんな状況になってしまったら小山さんはきっと自分を責めるだろうということ。

 そしてもうひとつ。news every.の対応がとても良かったこと。選択肢としては、6月に降板を発表することも、9月の番組改編期に降板を発表することもできた。ホームページ上から名前を消して"なかったこと"にすることもできた。小山さんのメッセージをホームページ上にアップして終わりにすることもできた。小山さんからのメッセージを読み上げず、藤井キャスターが事実だけを述べることもできた。

 現実はそうではなかった。藤井キャスターが紫のネクタイをつけ、全国放送の時間帯に、小山さんからのメッセージを丁寧に読み上げ、藤井キャスター自身のコメントも添えた。

 どこに批判する要素があるだろう。多分、現状で一番綺麗な"おわりかた"だ。

 今日のKEIICHIROで、小山さんはnews every.での8年間を「宝物のような時間でした」と述べている。まさしくそうなのだなと思える対応だった。最大限に暖かくて優しい対応。それはきっと現場そのものの良さもあるだろうし、小山さんの8年間の積み重ねの結果でもあるだろう。

 だから、本来ならば。こうして関係者でもなんでもない、ただのファンがうじうじと騒いでいることは、結果に対する蛇足でしか無いのだ。

 

 けれども。

 理屈ではそうだと分かっていても、感情は「そうだ」とは決して言わない。

 よくよく考えてみれば、歌詞にも拾われるような、コンサートのMCでも触れられるような、バラエティ番組で取り上げられるような大きな仕事が。大好きな人の大事な仕事が無くなってしまったのだ。悲しくならないわけがないのだ。いくら最大限に綺麗な終わり方だったといえど、こんな幕引きはあんまりだ。

 だから、これは私の駄々なのだ。

 小山さんはきっと、どこへだって行ける。スタイルの良さを活かしたモデルの仕事も、滑舌の良さを活かしたナレーションの仕事も、トーク力を活かしたMCの仕事も、きっと出来るだろう。元々良かった歌声も、ボイストレーニングを重ねて"歌"そのものを武器にしていくだろう。長い手足を活かしたダンスも、磨かれていくだろう。

 キャスターの経験を活かしてこれから活躍もするだろう。キャスターの仕事に当てていた時間を、別の仕事に割くこともできるだろう。選択肢としてみれば、むしろ無限に広がっていったと言える。

 しかしながら、嫌なのだ。

 これから日テレの大型特番に 小山さんがnews every.の席に座ることが無いこと。バラエティ番組で触れられなくなるだろうということ。スーツ姿で、情報を伝える小山さんが見れなくなること。東京オリンピックを取材する小山キャスターが見られないだろうということ。そして何より、「キャスターを辞めたおかげ」という目で小山さんの仕事が評価されるのだろうということが、嫌だ。

 6月以降、小山さんの歌はぐんぐんと伸びていった。それに対して、キャスターをやっていない"おかげ"だという言葉をいくつも見た。

 時間は有限だ。何かに費やしたらそのぶん他の何かに費やせる時間は減る。ただのそれだけの事実。

 キャスターをやらない"おかげ"で小山さんが良くなっていったと言うのなら、キャスターをやっている"おかげ"で得たものは一体どこへ行く?

 

 6月。死にそうな気持ちでNEWSの鑑賞会をした。それはNEWSのファンとの鑑賞会ではなかったのだが、小山さんの歌について。滑舌が良くて聴き取りやすいとポジティブな言葉を貰った。

 嬉しかった。すごくすごく嬉しかった。それは小山さんのキャスターの経験がアイドルの小山さんに活かされているということ。それがNEWSのファン以外から出た感想だということ。

 それは紛れもなく、キャスターをやっている"おかげ"だろう。

 

 今日更新されたKEIICHIROで、小山さんは「一歩一歩進んでいきたい」と言っていた。「ごめんなさい」も無く、悔やむ言葉も無い。後ろを振り返るような言葉は無かった。

 これを見て、ああもう小山さんはしっかりと前を向いているのだなと思った。結局は私の想像でしかないのだけれど。

 だから、私も前を向きたいと思った。精一杯駄々をこねたこのブログを以て、駄々をこねることをやめようと思う。

 私は意志がとても弱いので、多分完全に何も言わないことは出来ないだろう。ただ、ひとつの気持ちの区切りとして。インターネットの海の上で、じたばたともがくことは一先ずやめる。小山さんが前を見ているから。

 これからNEWSの特番が始まる。山に登って歌を歌う、なんともちぐはぐなようで、でもきっと見たら泣いてしまうのだろう。

 私はそこで、"アイドル"の小山慶一郎を目に焼き付ける。

 "キャスター"の小山慶一郎さんへ、最大限の賛辞を向け、これからの未来を一歩一歩、進んでいきたい。 

アイドルのはなし

私はアイドルが好きだ。アイドルという概念が大好きだ。

9月15日。今日は私の好きなアイドルが結成15周年を迎える、世界一ハッピーな日である。そしてこの文章を書いている私は今、とてもとても幸せであり満ち足りているのだ。この気持ちを忘れないよう、アイドルについて思っていること、燻っていた感情をつらつらとしたためていく。

 

◆キラキラについて

アイドルの好きなところ。

歌が上手いところ。ダンスが上手いところ。顔が格好いいところ。一言で言うならば、それらのどれでも無く、私は真っ先に「キラキラしているところ」を挙げるだろう。

キラキラというのは随分と抽象的な言葉だが、そう言う他ないのだ。

初めてNEWSのコンサートDVDを見た時、心の底から私は「キラキラしている」と思った。

自分たちの魅力を知り尽くしたプロ達が、全力で歌って踊ってパフォーマンスをしている。その姿が、そしてその姿を見るファン達が、そこの空間がキラキラしていた。

これを非常に分かりやすく言葉にしていたのが、バレエダンサーの宮尾俊太郎氏だ。

「客席に居ると、その人の命が削れて、キラキラしたものが見えるんですよ。自分自身を全部かけて、命が削れていって。その破片がキラキラとなって飛んでいくんですよ」

これは、Sexy Zoneの冠特番・『Sexy Zoneのたった3日間で人生は変わるのか!?』での言葉だ。中島健人氏が3日間かけてバレエを練習し、それを披露するというコーナーである。サイコーだったので全人類が見てほしい。

 

この言葉、大変衝撃的だった。所見のときはこれこれ、これだよ! 私が言いたかったやつ!! と1人で興奮していたので、今ここで共有させてほしい。

プロは、命を削ってパフォーマンスをしている。全身全霊で、最高を届けるように。だからあんなにも美しく切なく、キラキラと輝いている。

思うに。まさしくそれはキラキラの「破片」なのだ。削れていった形は人によって様々で、輝き方も当然異なる。だから「ファン」というものが生まれるのだ。

ファン一人ひとり、当然ながら生きてきた過程もアイドルを見るスタンスも違う。立っている場所が一人ひとり異なるのだ。だからそれぞれ、「担当」というものが生まれる。

アイドルに優劣などない。一様に皆輝き、キラキラとしている。ただ我々の立っている場所が違うだけだ。

私の立っている場所からは、NEWSの輝きが。その中でも小山慶一郎さんの輝きがいっとう美しく輝いて見えている。これからしていきたいのは、そういう話だ。

 

◆6月の感情について

今年の6月に味わった感情。もう二度と味わいたくはないなと思うけれども、決して忘れたくはないなとも思う。

詳細を私の言葉にするのはしんどいし、まあ今更書くまでも無いことなので、以下6月と記す。

6月の感情は、色々なものが渦巻いていた。心配と悲しさと怒り。予め記すと、NEWSに対する悲しみや怒りや呆れといったマイナスの感情は一切無かった。ただただ心配であったのだ。

 

私はアイドルに対し、「こうして欲しい」と願う事は殆ど無い。「こういう事があればいいな」というささやかな願望(例えば自担がエクレア親善大使になればいいなとか推し俳優と共演してくれないかなとか新譜が5億枚くらい売れればいいなとかだ)こそあるものの、「絶対にこうあるべき」というものは殆ど無い。殆ど。そう、殆どだ。

その殆どの例から漏れて願うのは2点。非常に勝手な願いながら、私はアイドルがアイドルであり続けてほしいし、アイドルには幸せでいてほしい。

私はジャニーズのオタクとしての歴はまだまだ全然浅いが、実在する人物のオタクとしての歴はそれなりにあるつもりだ。声優もバンドマンも俳優も応援してきたし、その中で色々なこともあった。

そう、引退や活動休止は別段珍しい事ではない。

友人、恋人、家族。彼らに近しい存在ならば、その選択を肯定するだろう。ファンには明かされないであろう、引退するだけの理由や心情を知れる。「生身」の彼らを見ることができるからだ。

けれども、私はファンの立場に居る。ファンの私は、表舞台に立つ彼らのことを好きになり、彼らを応援している。「生身」の彼らについて、ほんとうの事は顔と名前や血液型くらいしか知らないのだ。

我々ファンは、芸能人が「見せてもいい」と思った部分しか本来知り得ない。だからもし、活動を止めるに至った経緯を止めた彼らが語ったとしても、それが本当なのか、それが全てなのか、他に理由が存在するかどうかすらも知る由はない。

だから、ファンの私は。そういう生身の事情は置いておいて、芸能人が表舞台で見せる輝きをずっと浴びていたいと思うのだ。

全く持って勝手なことだが、私はファンなのだ。ファンが好きなものを永遠に続いてほしいと願う気持ちは、当然のことだと思っている。だから私は勝手に好きになったアイドルを勝手に応援し、勝手に永遠を願い続けるのだ。

 

もう一つの願い。幸せでいてほしいということ。

これはまあ、特別に書くことはない。ただただ、幸せであってほしい。表舞台でキラキラの輝きを届ける彼らが幸せであってほしい。アイドルはプラスの感情もマイナスの感情も受け止め、我々ファンに幸せを届けている。だから、幸せを届けるアイドル自信も、幸せであってほしいのだ。

 

話を戻す。6月に抱いた心配。それは彼らがアイドルであり続けるのか。そして彼らは今幸せなのかどうかだ。

あの時の私は本当に思考がどうかしていて、世界中が彼らのこと、とりわけ自担のことを嫌いになってしまっていたらどうしようと本気で思っていた。今になって考えてみれば、これまでの、彼らの積み重ねと彼らを好きでいたファンのことをまるで無視した大変失礼な思想である。ましてやファン歴が子供用プールばりの浅さの自分がそう思うなんて、なんておこがましいのだ。そんな考えに至った自分を恥じた。

今現在、アイドルとして活躍する彼らはやはり変わらずキラキラしているし、私の周りは彼らを好きな人で溢れている。それが全てだ。

 

 

6月の怒り。それは「世間」に対してだ。

先程も書いたが、私はファンだ。決してアイドルの友人でも恋人でも家族でもない。だから私がアイドルに対してできることといえば、お金を支払うことと声援を送ること。その2つだ。間違っても彼ら自身を正すだとか、そういう事はできない。そういう土俵に立っていない。彼ら自身に直接影響を及ぼしたとして、そこから先の責任も取れないし取りたくない。私はそう考えている。

だから、世間の風潮が理解できなかった。受け入れられなかった。

何か糾弾できるきっかけを見つけると面白おかしく揶揄をしたりだとか、誹謗中傷をしたりだとか。受けたショックを吐き出したりだとか、起こったことへの感想を述べることと、悪意を持って騒ぎ立てるのはまるで別の話なのに。まるで正当な権利を得たかのように、自らの悪意を振りかざす。そういうのがまかり通る世間の風潮が嫌だった。

 

そして悲しみ。それは悪意の存在だ。

彼らを誹謗中傷する声だとか、彼らを暴き立てたり真偽不明のことを面白おかしく書き立てるメディアの存在。彼らが取り巻かれていたそういうものが可視化されているようだった。

先に述べたように私はアイドルには幸せでいてほしい。それなのに、こんなにも世界は悪意で溢れ、彼らは、顔も名前も身分も剥き出しにしてそこに立っている。そういう現実がたまらなく悲しかった。

 

そして、どうしてこの時の感情を忘れたくないのか。それは、私がNEWSを好きだからだ。

私は元々ジャニーズ界隈に居ないオタクだ。昨年の春に足を踏み入れて、ファンの愛の深さを知って。自分の「好き」という気持ちに後ろめたさがあった。いわば「NEWSも好きなオタク」であったからだ。

NEWSを好きな人たちが、好きという気持ちに本気なのを見て、自分の愛の量で「好き」を語っていいのかと懸念していたのだ。

そこで6月を迎えた私は、自分の感情に驚いたのだ。本当にめちゃめちゃしんどかったし辛かったし、そして何よりNEWSが好きだったのだ。自分が思っていた以上に、私は彼らのことが好きだったのだ。

あまりにも辛すぎてNEWSの楽しい情報だけを目にしたくて、Twitterのアカウントを作った。そこはNEWSを好きな人たちで溢れていて、見れば見るほどNEWSを好きな気持ちが目に見えるようになっていった。

私はきっと、あの6月に自信を持って「NEWS担」になったのだ。

だからあの時の感情。辛くてしんどくて悲しくて、そして何より好きが溢れていたあの感情を忘れたくない。

 

◆夢と現実について

6月以降、よく目にした言葉がある。

「夢ばっか見てないで、ちゃんと現実を見ろ」

色んな場所で目にしたし、実際にこういった趣旨の言葉を言われたこともある。

あまりにも余計なお世話なこの言葉。私からしてみれば、「現実ばっか見てないで、ちゃんと夢を見ろ」だ。

私はアイドルに夢を見ている。現実に居ながらふわふわキラキラとした夢を見せてくれるアイドルに私は惹かれた。現実が見たかったらはなからそこらへんにいる男を見ている。

だから、私は思う。アイドルに夢を見ることの何がいけないというのだ。「ちゃんと現実を見れているファン」ってなんだ。こっちはちゃんと夢を見れているファンだ。

 

そもそも、「現実」とは一体何なのか? 悪意を持って暴かれた彼らのプライベートが現実ならば、なんて酷い現実なんだろうと思う。

そういう風に暴かれた一部分だとか、インターネットの海に転がっているような悪意まみれの「現実」を、さも彼らの全てだという風に聞かされたことがある。それは「ファン」でも「アンチ」でもなく、所謂「世間」に分類されるような立場の人だった。なんて安い現実なのだろうと思った。

 

アイドルは私にとって夢なのだ。だから、そういった「現実」に対しては言ってしまえばどうでもいい。私にとってアイドルのプライベートは、文豪の人間性だとか遊園地のバックヤードだとかと同じくらいにどうでもいいことだ。

アイドルがプライベートを見せることがファンへの裏切りになるのだとしたら。アイドルのプライベートを暴くことはアイドルへの裏切りではないのか?

だから私はアイドルを好きでいる限り、全力で夢を見たい。それが何より楽しいからだ。

 

◆存在について

アイドルというものは、自分の存在を売っている。

私はNEWSを好きになる前は(というか今も並行して)舞台俳優のオタクだった。舞台俳優の演技や歌やダンスが本当に好きだ。

アイドルも歌やダンスや演技をする。けれども、舞台俳優に対して抱く感情とアイドルに対して抱く感情は決定的に何かが違った。

一体何が違うのか。それに対する答えが、「存在」だ。

 

私には愛してやまないアイドル漫画がある。

高木ユーナ先生著・『ドルメンX』(全4巻)だ。かいつまんで言えば宇宙人が地球を侵略するためにアイドルになる話なのだが、アイドルや若手俳優を推しているオタクには絶対に刺さるものがあるのでどうか読んでほしい。

その中で、こんなセリフがある。

「今回はなんで征服の手段をアイドルにしたんだ?」

ーーーーー

「俳優とかじゃダメなん?」

ーーーーー

「オレは……自分自身を受け入れてもらいたいのかな………って。

 俳優は自分の演技を求められて 歌手は自分の歌を…………

 アイドルは…存在を。」

存在。アイドルが愛される根底はきっと、存在そのものだ。歌が上手いアイドル、ダンスが上手いアイドル、喋りが上手いアイドル。色んなアイドルが居るが、彼らが愛されているのはそういった秀でているものがあるからではない。それを引っくるめた、存在そのものだ。

私の自担は歌が苦手だ。でも私は自担の歌が大好きだし、唯一無二だと思っている。最近の音楽番組での歌の進化に日々驚かされているし、新曲・「生きろ」のソロパートがべらぼうに好きだ。そして何より、それを歌う小山慶一郎が好きなのだ。

個性豊かなアイドル達が集まってグループになって、それぞれ得意不得意を補って。不揃いで不完全で、そういう存在たちがたまらなく愛おしい。

私が彼を好きな理由。それはうまく明文化できない。分からないけれども、初めてコンサートDVDを見たとき、彼を目で追っていたし心をガッチリと掴まれた感覚がした。あえて言葉にするならば、やはり「存在」なのだろう。

 

◆今について

6月以前、ファン歴の浅い私がNEWSの結成15周年の節目を大きな顔をして祝っていいのかという気持ちがあった。

が、今は違う。NEWSが好きで愛おしくて、そんな彼らの15周年を心から祝いたい。

毎週日曜日にドラマを見て騒いで、NEWSを好きな人とNEWSの話をして、新しい情報があれば心を揺さぶられて。そういう日々を送っている今がとても幸せだ。

先のことを考えるのは得意ではないので、率直な気持ちを挙げる。

NEWSが15周年を迎えるこのタイミングで、NEWSを好きでいてよかった。NEWSを好きな人たちが周りにいてよかった。

私は本当に今毎日が幸せで溢れている。

この感情を味わえたことと、これから先の楽しみに感謝して、この文章を締めようと思う。

改めて、NEWS結成15周年本当におめでとうございます。どうかNEWSのこれからの道が幸せで溢れていきますように。

城山小太郎くんを幸せにしたいはなし

皆さん「ゼロ 一攫千金ゲーム」の第5話と城山小太郎くんのスピンオフを見ましたか??? 見てない人は直ちに見てください。見た人はもう一度見てください。

私、正直まだ山口カズヤくんのしんどさから立ち直れてないんですけど、城山小太郎くんもやっぱりめちゃめちゃしんどかった(必然)ので、ま〜〜〜〜たつらつらとブログを書きます。山口カズヤくんとの対比で余計しんどさが増すので、下書きに眠ってた3話の感想も併せて。

 

◆山口カズヤくんのしあわせについて

第3話で我らがアイドル山口カズヤくんが退場したわけなんですけど、彼の引き際がキャラクターとして完璧だったなと。

一つ前のブログで、山口カズヤくんには友達が居ないと書きましたが、一つ訂正します。山口カズヤくんには友達が居ないけれど、たった一人だけ居る。宇海零です。第3話はカズヤくんがその事に気づいた回で、その気づきと退場がうまく噛み合ってるんですよね。最高。

正味な話、話としてはもう少し盛り上がって引っ張って欲しかったなという欲がありますが(尺的に厳しそうですけど)、"山口カズヤ"というキャラクターの描き方としては最高だったのでプラマイプラプラ。

 

で、明らかにしておきたいのが、「山口カズヤくんにとって何が一番重要だったか」というところ。

3話を見る前までは、零にリレーのアンカーを譲られたエピソードが肝になってくるのかなと思ってたんですけど、どうやらそういうわけではない。というのも、3話でそのエピソードの真意が明らかになっていないんです。

カズヤくんの主張としては、「零も3連覇を成し遂げる自信が無かった。だから自分に憐れみでアンカーを譲った」んですけど、零はこれに対して否定も肯定もしてないんですね。回想シーンでも、「一緒に泳げなくてごめんな」とだけ。だから零の真意は分からないまま。ということは重要なのはそこではなく、もっと別のところにあるんです。

「それからずっとお前の幻影に囚われ続けて……人生逆転のためにやってきたここで、お前と会って運命だと思った」

「今度こそ人生をやり直すチャンスだと思った」

個人的には、重要なシーンが2つあって、そのうちの1つがここの告白のシーン。零に完璧に勝つことで、囚われ続けていた幻影から抜け出したかったのでしょう。そうして、新しく人生をやり直したかった。

そしてもう1つが、

「俺はお前を殺す為にこのゲームに参加した」

「どうだ、分かったろ。俺がどんなに最低な奴か。……がっかりしたろ。……軽蔑しろよ!」

続くここのシーン。

ここ、今までのカズヤくん像を覆す表現が1つあって、そこがすごく重要なんじゃないかなあと。「俺がどんなに最低な奴か」。このセリフ、確かに流れ的には全くおかしくないです。高校の同級生を殺そうとしたんですもの。

でも、山口カズヤくんのスピンオフではそんな描写は一切無かった。敗北は相手がずるい手段を使ったから。自分が評価されないのは周りがカスだから。俺が負ける筈がない。山口カズヤくんは、全てを周りのせいにしてしまうようなそんな奴だった筈なんです。

で、どうしてそうなったのかという答えなんですけど、2話のエンディングにあると思うんですね。

殺ってやる……その偽善

 

分かってる、学生の頃から。でも、俺は知ってる。やつの致命的な欠点を。あいつは根っこの所が……おめでたい。人の気持ちを踏みにじれない。友達を裏切るなんてとんでもない。つまり、筋金入りの偽善者。

ここの部分。

前の記事でもちらっと書きましたが、カズヤくんは零の人間的な部分を暴こうとしている。零にゲームで完全敗北したカズヤくんは、零のマイナスの感情を引きずり出す事で、"偽善者"の零に勝とうとするんです。たとえ、自分の非を認めたとしても。

 

そして、これに対する答えとして零はこう言ってるんですね。

「しないよ、軽蔑なんて。お前は、最低な奴じゃない。」

「また……ここからやり直せる」

「……また泳ごうよ!」

「生きてここを出られたらさ……また、一緒に泳ごうよ。……あの頃みたいに」

と、カズヤくんの訴えを全部否定して、"これから"の前向きな未来を提案してるんです。

カズヤくんは最低じゃないし、零を殺さなくてもまた人生をやり直すことができる。零の幻影に囚われていない、カズヤくんだけの人生。零を殺そうとしたカズヤくんを受け入れ、否応なしに前を向かせている。

で、個人的にすごくいいなと思うのが「一緒に泳ごうよ」という台詞。リレーのアンカーを譲る時の、「一緒に泳げなくてごめんな」を10年越しに回収している。アンカーを譲った時の零の真意が明かされなかったぶんを、ここで多分拾ってるんだと思います。2人にとっての「一緒に泳ぐ」がどんな意味を持つのかは描かれていないので完全に私の想像なのですが、きっと前向きな意味があるんだと思います。回想シーンでは、零に追いつけなくて悔しい思いをするカズヤくんが描かれていましたけど、辛いこと以外にも楽しいことがあったんじゃないでしょうか。だから零はカズヤくんを"友達"と呼ぶのでは。それこそ部活終わりのコンビニの寄り道だとか、部室で残って駄弁ったりだとか、そういう青春の思い出を引っくるめての"一緒に泳ぐ"だといいなあと。

 

そして、カズヤくんが写真を取り出すシーン。今まで表面的なもので見てきた、カズヤくんから零への思いが感じられます。

零に出会うと思っていなかったドリームキングダムに写真を持って行っていること。写真を携帯していること。写真が綺麗なこと。

この3つから、カズヤくんはあの写真を大事にしてることが伺えます。ので、カズヤくんはきっと心の奥底では零との友情を大事にしていた。でもそれ以上に過去の出来事がしこりとなっていて、燻っていた劣等感がスピンオフで爆発してしまった。本当はお互いちゃんと友達だと思っていたはずなのに、カズヤくんがそれを認めていなかった。

「……生きろ」

からの、このセリフ。ここに全てが集約されている。

零の生存を願う事で、零の幻影に囚われていた自分と決別をし。「生きてここを出られたらさ〜」への返答をし。自分から去る事で、敗北を認め。

カズヤくんが人間的に成長をし、なおかつ零を"友達"だとちゃんと認めたんです。これでカズヤくんは零への執着から開放され、しっかりと"山口カズヤ"としての人生をやり直せるでしょう。

そしてそれが、カズヤくんの幸せに繋がっていく。第3話、最高でした。

 

◆城山小太郎くんのしあわせについて

で、小太郎くんなんですけど。小太郎くんの幸せがどこにあるのかって、きっと"友達"なんでしょう。

山口カズヤくんには友達が居なかった。けれどもただ一人、宇海零という本当の友達が居た。

城山小太郎くんには友達が居た。けれども本当の友達は誰一人だって居なかった。

ここ、個人的にめちゃめちゃしんどいんですよね。

ゼロって友達との絆や仲間への信頼が大きなテーマになってると思うんですけど、本当に友達が居ない小太郎くんは、彼が前を向ける取っ掛かりがない。しんどい。

 

●いじめについて

スピンオフを見た人は皆疑問に思った事が1つあると思うんですけど。

小太郎くんって何でいじめられてたの???

いやそんなだって、ビジュアル手越祐也ですよ。日本の宝ですよ。歌って踊る太陽ですよ。一体だ〜〜〜れがいじめたんじゃオラオラってうっかりモンペの心が目覚めました。

 

で、私なりに考えてみたんですけど。多分小太郎くんは、根本的に友達つきあいの仕方を知らないんじゃないでしょうか。

仲良くなる方法は、プレゼントを渡すこと。しかも、相手が欲しいものを確実に渡す。プレゼントって、相手が欲しいと分かっているものを渡す事も勿論ありますけど、相手が好きそうなものを考えて渡すことも当然あるじゃないですか。でも小太郎くんはそうじゃない。事前に相手の欲しいものを調べて、喜ぶ顔が約束されているものを渡す。そうでないと渡せない。

小太郎くんはおそらく予定外のことに弱い。全てを把握して、自分の筋書き通りに進めたい人だと思うんです。ホッシーとアイちゃんがはじめっちに会いに行ったと聞かされたときがすごく分かりやすくて、

「ふたりは?」

「……聞いてないよ、そんな仕事」

と、ここでいきなり声の温度と笑顔が消えるんです。"友達"が自分の知らないところで予定外の行動をした事が小太郎くんは許せなかったんじゃないでしょうか。

後半で、小太郎くんが別の友達レンタル会社のヘビーユーザーだったことが明かされますが、小太郎くんはおそらくそこで知識として友達付き合いの仕方を学んでいる。けれども本質としては何も分からないから、相手の好みでないかもしれないプレゼントを渡して失敗する事を恐れるし、自分の管理していない場所で何かが起こっているのを嫌がるんです。

「ベリーバッド! アンハッピーだ。僕が何をした? うまくコントロールできてた筈なのに、やっと手にした友情は一瞬で壊れた」

「……皆が待ってる! まだ壊れてない!」

ここの、ホッシーからの電話を貰うシーン。「皆ずっと待ってます」の意味を、いい意味でしか捉えていない。

普通であれば気まずさを感じたりだとか、悪い想像をすると思うんですけど、小太郎くんにはそれが全く無い。"友達"とのいざこざがあった時の対応を、 友達レンタルでは知り得なかったんです。だから、"また上手くやれたらいいな"みたいな自分の感情に都合よく解釈をしてしまって、結果がそれと違ったら憤る。

そういう、所謂"普通"と違ったところが高校時代にいじめを受けた要因になってるんじゃないかなと。

はじめっちのSNSに書かれていたコメントを振り返ると、

「コタロウじゃん

有名なヘタレ」

「こいつメッチャ嫌われて(た)」

「底辺ヤンキー高のパシリ」

と、周りからの小太郎くんの評価が見えてきます。

うっかり芽生えた小太郎くんへのモンペ心としては「オイオイ小太郎くんの美貌に嫉妬していじめたんか???」とか思うんですけど、後の

「嫌われてていじめられてる奴って、やっぱりどっかに原因があるんじゃないかな」

この言葉から、きっかけは小太郎くん自身の"何か"だったのかなあと思いました。「ヘタレ」と言われてるところから、ヤンキーと気質が合わなかったりだとか、さっき書いた友達付き合いの仕方を知らないところだったりだとか。きっかけはおそらく些細なことなんですけど、それが伝染して肥大して、「メッチャ嫌われてた」んじゃないでしょうか。

あと、高校時代にパシリだった事と、今の小太郎くんがプレゼントを渡すで友達でいようとしている事、ちょっと繋がりがありませんか? 靴を舐めさせたりしてきた人たちも、パシリで物を渡した時は暴力を振るわなかったりしたんじゃないでしょうか。それが、物を渡したがる今の小太郎くんにそのまま受け継がれているのでは……。

 

●誕生日について

これ、今回のスピンオフで最上級にしんどかった所なんですけど。最後に小太郎くんが出したクイズ。

「……とっても簡単な問題だ。……僕の誕生日は?」

ここ。ここの小太郎くんの優しくて切ない声と、3人の表情を見て、全てを悟って諦めたような絶妙な表情。ここで、小太郎くんへのしんどさが限界突破しました。

3人が仲間割れをした時の小太郎くんの笑いや、「友情ごっこなんかよりこっちの方が楽しいや」という台詞から思うに、小太郎くんは3人の友情を壊したかった。自分以外の3人の友情が壊れるところが見たかった。その一方で、彼は自分と彼らとの友情に期待をしていたのでは。

前半の、

「え! てかすごくないすか。はじめさんフォロワー1000超えてるじゃん! 意外っすね」

「しかし。Birthdayを一緒に祝ってくれる友達は? ……ゼロだ。悲しいことにね」

はじめっちのSNSを見るシーン。2周目だとしんどさ億億倍。

はじめっちには現実で誕生日を祝ってくれる友達は一人もいなかった。けれども小太郎くんにはそもそも誕生日を知っている友達が一人もいなかった……。

3人が「城山さん」という名前にピンと来ていないところとかからも分かるように、小太郎くんと3人の関係って全然深くないんです。ホッシーの役者でいることに悩んでいる話も、カメラからの映像で俯瞰して見ていただけなので、直接ホッシーの口から話されたわけではない(ホッシーは話そうとしていたのかもしれないけど)。

私の想像なんですけど、あれだけ普段プレゼントを渡していた小太郎くんの事なので。誕生日プレゼントなんかは特に大事に渡したりしていたのでは? さっきも書いたように、小太郎くんは全てを把握したい人なので、3人の名前は勿論、誕生日やらのプロフィールもきっちり知ってたんじゃないかなと。

でも3人は知らなかった。小太郎くんと付き合っていく上で、知らなくても問題はなかったから。

ホッシーだけは小太郎くんがプレゼントした靴を履いていたり、気遣うような言動を見せたりと一番"友達"に近かったのかなあと思うんですけど。それでも、あの状況で小太郎くんが幸せになれる答えを持っていなかったんですよね。寄り添おうとはしていたけれど、そこに至るまでの時間が足りなかったのかな……と思うとめちゃめちゃしんどい。

 

◆6話に向けて

ついに今夜放送の第6話で小太郎くんがいっいどんな表情を見せてくれるのか。小太郎くんは救われるのかを思うとしんどさが止まらないのですがオタクはただ待つしかできない。つらい。

カズヤくんは青春の淀みを拗らせてしまったって感じなんですけれども、小太郎くんはなんというか、何も知らない子供というか。子供特有の残酷さがあるんですよね。虫の手足をもいだり、蟻の巣を沈めたりするような無邪気な残酷さ。友達付き合いを知らないが故の、無垢な残酷さ。それを演じる手越くんの凄さ。カズヤくんの時も思ったんですけど、手越担さん大丈夫ですか……………??? 小山担の私はもう駄目です…………

まだまだ書きたいことはあるので、6話で死んだあとぽつぽつと書ければなあと思います。

城山小太郎くんよ、どうか幸せになってくれ。全人類ゼロ一攫千金ゲームを見ろ!!!!!!