駄々をこねるはなし
昨日、心臓に穴が空いた。
私の大好きな人の、大事な大事なお仕事が終わりを迎えたのだ。
TLを開く。流れてくる反応を見る。思考が明瞭になる。動悸が主張する。喉の奥がキュッと締まる。寝ていた身体をがばりと起こした。「まさか」という気持ちで検索を掛けた。そのまさかだった。気づいたら大人のくせに声を上げて泣いていた。
これからここに綴ることは、誰が悪いとか誰が悪くないだとか、仕方がないとか仕方がなくないだとか、一切そういった理性的なものは無い。ただの一人の、小山慶一郎のファンの駄々だ。
昨日からぐるぐると考えていることがある。私が持て余しているこの感情は一体何だ?
悲しいという感情。寂しいという感情。悔しいという感情。諦め。安堵、納得。そのどれでもあるようであったし、どれでもないようでもあった。
5分前の私の感情は「小山さんが決断したことだから」と言い、1分前の私の感情は「どうしてこんな幕引きに」と言い、今の私の感情は「嫌だ嫌だ」と言う。そんなことを繰り返していたら1時間が経ち2時間が経ち、気づけば日付を超えていた。
夕飯を摂るのもそぞろに、TLに流れる言葉を見ていた。
私のTLに流れる言葉はどれも暖かく、小山さんのファンも小山さん以外のメンバーのファンもみんなみんな悲しんでいて、ああ小山さんのことが好きな人はこんなに沢山いるのだなあと思った。
ずっとずっと心に残っている言葉がある。
先日放送された、SONGS OF TOKYO。MCの中で、「NEWSの中で誰が一番好きか」を問うていた。小山さんの名前は挙がらなかった。それだけだったら気にも留めなかった。小山さんのことを好きな人がたくさん居ることはしっていたし、たまたま答えた人が小山さんのファンではなかっただけの話だ。
ずっとずっと引きずっているのは、その後の小山さんの言葉だ。
「いいのいいのいいの。うん。慣れてる慣れてる。大丈夫大丈夫」
すごく優しい声だった。それは本音を見せまいとした優しさなのか、場の空気を壊さないようにした優しさなのか、それとも特別な意味はないのか、私には分からない。ただのファンだから。
そんなただのファンの私は、それを聞いて泣いてしまった。なんともゆるい涙腺である。
アイドルが"選ばれない"という事に対して"慣れている"こと。それをまるで負の感情を出さずに言葉にしたこと。なんて寂しい言葉なんだ。
その言葉を引きずっていた私は、昨日のTLを見てやっぱり泣いてしまった。小山さんは"慣れてる"と言ったけれど、少なくともここは全然そうじゃない。小山さんへの愛で満ちていた。
それはファンだけの話ではない。NEWSな2人で仕事を共にした原田さんのツイートも、今週のKちゃんNEWSで語られていた、氣志團の綾小路翔さんとの食事も、そして勿論藤井キャスターのの言葉も。小山さんの周りは、悪意よりももっともっと暖かいもので溢れているのだ。
話を戻す。
私が何に駄々をこねているか。それはとてもシンプルな話で、小山さんの降板が受け入れられないのだ。
物事を俯瞰的に捉えれば、降板を受け入れるべく理由が見えてくる。これからキャスターをやる上で「読めるニュース」と「読めないニュース」が出てくるであろうこと、そして読めないニュースを読んでしまったら、無数の石を投げられるだろうということ。
あとこれは私の想像でしかないが、もしもそんな状況になってしまったら小山さんはきっと自分を責めるだろうということ。
そしてもうひとつ。news every.の対応がとても良かったこと。選択肢としては、6月に降板を発表することも、9月の番組改編期に降板を発表することもできた。ホームページ上から名前を消して"なかったこと"にすることもできた。小山さんのメッセージをホームページ上にアップして終わりにすることもできた。小山さんからのメッセージを読み上げず、藤井キャスターが事実だけを述べることもできた。
現実はそうではなかった。藤井キャスターが紫のネクタイをつけ、全国放送の時間帯に、小山さんからのメッセージを丁寧に読み上げ、藤井キャスター自身のコメントも添えた。
どこに批判する要素があるだろう。多分、現状で一番綺麗な"おわりかた"だ。
今日のKEIICHIROで、小山さんはnews every.での8年間を「宝物のような時間でした」と述べている。まさしくそうなのだなと思える対応だった。最大限に暖かくて優しい対応。それはきっと現場そのものの良さもあるだろうし、小山さんの8年間の積み重ねの結果でもあるだろう。
だから、本来ならば。こうして関係者でもなんでもない、ただのファンがうじうじと騒いでいることは、結果に対する蛇足でしか無いのだ。
けれども。
理屈ではそうだと分かっていても、感情は「そうだ」とは決して言わない。
よくよく考えてみれば、歌詞にも拾われるような、コンサートのMCでも触れられるような、バラエティ番組で取り上げられるような大きな仕事が。大好きな人の大事な仕事が無くなってしまったのだ。悲しくならないわけがないのだ。いくら最大限に綺麗な終わり方だったといえど、こんな幕引きはあんまりだ。
だから、これは私の駄々なのだ。
小山さんはきっと、どこへだって行ける。スタイルの良さを活かしたモデルの仕事も、滑舌の良さを活かしたナレーションの仕事も、トーク力を活かしたMCの仕事も、きっと出来るだろう。元々良かった歌声も、ボイストレーニングを重ねて"歌"そのものを武器にしていくだろう。長い手足を活かしたダンスも、磨かれていくだろう。
キャスターの経験を活かしてこれから活躍もするだろう。キャスターの仕事に当てていた時間を、別の仕事に割くこともできるだろう。選択肢としてみれば、むしろ無限に広がっていったと言える。
しかしながら、嫌なのだ。
これから日テレの大型特番に 小山さんがnews every.の席に座ることが無いこと。バラエティ番組で触れられなくなるだろうということ。スーツ姿で、情報を伝える小山さんが見れなくなること。東京オリンピックを取材する小山キャスターが見られないだろうということ。そして何より、「キャスターを辞めたおかげ」という目で小山さんの仕事が評価されるのだろうということが、嫌だ。
6月以降、小山さんの歌はぐんぐんと伸びていった。それに対して、キャスターをやっていない"おかげ"だという言葉をいくつも見た。
時間は有限だ。何かに費やしたらそのぶん他の何かに費やせる時間は減る。ただのそれだけの事実。
キャスターをやらない"おかげ"で小山さんが良くなっていったと言うのなら、キャスターをやっている"おかげ"で得たものは一体どこへ行く?
6月。死にそうな気持ちでNEWSの鑑賞会をした。それはNEWSのファンとの鑑賞会ではなかったのだが、小山さんの歌について。滑舌が良くて聴き取りやすいとポジティブな言葉を貰った。
嬉しかった。すごくすごく嬉しかった。それは小山さんのキャスターの経験がアイドルの小山さんに活かされているということ。それがNEWSのファン以外から出た感想だということ。
それは紛れもなく、キャスターをやっている"おかげ"だろう。
今日更新されたKEIICHIROで、小山さんは「一歩一歩進んでいきたい」と言っていた。「ごめんなさい」も無く、悔やむ言葉も無い。後ろを振り返るような言葉は無かった。
これを見て、ああもう小山さんはしっかりと前を向いているのだなと思った。結局は私の想像でしかないのだけれど。
だから、私も前を向きたいと思った。精一杯駄々をこねたこのブログを以て、駄々をこねることをやめようと思う。
私は意志がとても弱いので、多分完全に何も言わないことは出来ないだろう。ただ、ひとつの気持ちの区切りとして。インターネットの海の上で、じたばたともがくことは一先ずやめる。小山さんが前を見ているから。
これからNEWSの特番が始まる。山に登って歌を歌う、なんともちぐはぐなようで、でもきっと見たら泣いてしまうのだろう。
私はそこで、"アイドル"の小山慶一郎を目に焼き付ける。
"キャスター"の小山慶一郎さんへ、最大限の賛辞を向け、これからの未来を一歩一歩、進んでいきたい。